こんにちは、防府市の主婦なんたんです^^
防府市出身の有名人にはどんな人がいるか、ご存じですか?
じつはわたし、どんな方がいるのかあまり知らないので、今回は防府市出身の有名人を調べてみました。
調べてびっくり!たくさんの有名な方が防府市から生まれているんですね。
すべての方を書き切れていないのですが、意外なあの人が防府出身だったと驚くかもしれませんよ。
文化人(敬称略、順不同)
高樹のぶ子(たかぎのぶこ・作家)
1946年(昭和21年)生まれ。
松崎小学校、国府中学校、防府高校から東京女子大学短期大学に進学。
1984年(昭和59年)『光抱く友よ』で芥川賞、1999(平成11年)年『透光の樹』で谷崎潤一郎、2010年(平成22年)『トモスイ』で川端康成文学賞、そのほかの作品でも多くの賞を受賞。2017(平成29年)年に日本芸術院賞、旭日小綬章を受章。
昭和30年代の防府を舞台にした自身の自伝的小説『マイマイ新子』が、2009年(平成21年)、アニメ映画『マイマイ新子と千年の魔法』として公開。マイマイ新子は、今も防府のみなさんに愛されています。
映画『マイマイ新子と千年の魔法』についてはこちらでご紹介しています。
⇒ マイマイ新子と千年の魔法・あらすじや原作は?防府を舞台にしたアニメ映画を紹介
伊集院静(いじゅういんしずか・作家、作詞家)
1950年(昭和25年)生まれ。在日韓国人2世。
防府高校から立教大学に進学。ディレクターを経て1981年(昭和56年)『皐月』で作家デビュー。
1991年(平成3年)『乳房』で吉川英治文学新人賞、1992年(平成4年)『受け月』で直木賞、1994年(平成6年)『機関車先生』で柴田錬三郎賞。防府を舞台にした自伝的小説に、『海峡』三部作があります。
また防府の大楽寺には、2人目の奥さんである夏目雅子さんのお墓があります。
種田山頭火(たねださんとうか・俳人)
1882年(明治15年)八王子に生まれる。
11歳の頃、母が自死。早稲田大学文学部へ入学しますが、神経衰弱症のため中退。
父と酒造場を開業しますが、うまく行かず破産。
妻子と熊本へ行き古本屋を開店しますが、弟の自死により神経衰弱症から酒浸りの日々に。
1925年(大正14年)、禅僧になり行乞(ぎょうこつ)の旅へ出ます。旅の中で多くの名句を生み出しました。
防府天満宮の近くには、山頭火の生涯を紹介した「山頭火ふるさと館」があります。
鈴木淳(すずきじゅん・作曲家、音楽プロデューサー)
1934年(昭和9年)、防府天満宮の宮司の子息として誕生。
防府高校、早稲田大学教育学部を卒業。音楽之友社、国語科教諭を経て、満29歳でレコード作家デビュー。
作曲して伊東ゆかりさんに提供した『小指の想い出』がレコード大賞歌唱賞を受賞。以降、多くの歌手に楽曲を提供しています。
2020年(令和2年)には多くの人々が見守る中、実家の防府天満宮に八代亜紀さんのヒット曲「なみだ恋」の歌碑が奉納されました(奉納時の様子は、防府天満宮公式サイトからご覧になれます)。
有馬三恵子(ありまみえこ・作詞家)
1935年(または1936年)生まれ。
1960年代後半から作詞家として活動。
1971年(昭和46年)に作詞した南沙織さんのデビュー曲、「17才」が大ヒット。以降も多くのヒット曲を生み出しました。
「17才」の歌詞の出だし、「誰もいない海」の舞台は、防府の富海海水浴場です。
光田健輔(みつだけんすけ・医師)
1876年(明治9年)中関に生まれる。
高等小学校卒業後上京。東京帝国大学医学部選科卒業後、東京市養育院に勤務。
ハンセン病(※)患者に接し、ハンセン病撲滅に関心を持つ。1931年(昭和6年)、国立療養所長島愛生園の初代園長。
退官後も全国の療養所の充実に努め、生涯をハンセン病の撲滅に捧げました。
※ハンセン病とは・・・日本財団HP
上田敏雄(うえだとしお・詩人)
1900年(明治33年)、台道生まれ。
慶応大学在学中に詩壇デビュー。
1928年(昭和3年)1月、上田保、北園克衛と日本初のシュールレアリズム宣言(※)を『薔薇・魔術・學説』に発表。山口市出身の詩人、中原中也とも交流を持ちました。
戦争がひどくなり、昭和20年にふるさとに疎開。戦後もそのまま台道に定住。
大学で英語、英米文学を講じるかたわら、晩年まで前衛的な詩論を展開しました。
※シュールレアリズムとは・・・wikipedia
羽仁吉一(はによしかず・教育者)
1880年(明治13年)三田尻に生まれる。
周陽学舎(現・防府高校)を中退し上京。1990年(明治33年)、報知社(現・報知新聞)に入社しますが、翌年結婚し退社。
1903(明治36年)年、妻・羽仁もと子さんと一緒に雑誌『家庭之友』を創刊(『婦人之友』の前身)。
1921年(大正10年)、夫婦で自由学園を創立。キリスト教的自由思想に基づく、個性を重視する教育を開始しました。
山根基世(やまねもとよ・アナウンサー)
1948(昭和23)年香川県高松市生まれ。
2、3歳から防府で育つ。防府高校、早稲田大学卒業後、NHKに入社。
1997年(昭和16年)局次長級エグゼクティブアナウンサー、2005年(平成17年)NHK初の女性アナウンス室長に就任し、2007年(平成19年)に定年退職。
翌月「ことばの杜」を立ち上げ、以降はフリーランスとして地域作りと言葉教育を組み合わせた独自の活動を続けています。
宮岡寛(みやおかひろし・ゲームクリエイター)
1958年(昭和33年生まれ)。
中学の同級生が山本貴嗣さん。
1991年(平成3年)に発売され、30周年を迎えるゲーム「メタルマックス」シリーズの生みの親として知られています。
「竜退治はもうあきた」とドラクエチームから巣立った男がメジャーを目指して26年。流行に逆らい続けたメタルマックスが追い求めたのはドラクエからの自由だった【宮岡寛インタビュー】https://t.co/CEmg7IfYsL pic.twitter.com/6rgHGABtyr
— 電ファミニコゲーマー (@denfaminicogame) April 18, 2018
山本貴嗣(やまもとあつじ・漫画家)
1959年(昭和34年)生まれ。中央大学文学部哲学科に入学。
大学在宅時に漫画家としてデビュー。代表作は『最終教師』、『剣の国のアーニス』など。
漫画家としてだけでなく、デザイナーとしても活躍しています。
貞光紳也(さだみつしんや・アニメ演出家)
1951年(昭和26年)生まれ。
『機動戦士ガンダム』『無敵鋼人ダイターン3』の演出を担当。以後、さまざまな作品で演出。
『クレヨンしんちゃん』の演出も長く担当しています。
りおた(りおた・イラストレーター)
1990年(平成2年)生まれ。
防府商業高校(現・防府商工)を卒業し、YICキャリアデザイン専門学校へ。
出版社にイラスト集を持ち込んだところ、採用されたことをきっかけにイラストレーターに。
おもに似顔絵やスポーツに関するイラストを手がけて活躍中です。
実業家、政治家(敬称略、順不同)
上山満之進(かみやままんのしん・政治家)
1869年(明治2年)生まれ。
明治28年(1895)帝国大学法科大学を卒業後、官僚の道へ。
大正15年(1926年)第11代台湾総督に就任しますが、2年後に辞任。枢密顧問官となって、1938年(昭和13年)7月まで在任しました。
晩年、ふるさと防府に図書館を建設することを計画。しかし計画は物価高騰で遅れ、完成を待たずに逝去。
その後、親族が遺志を引き継ぎ、三年後、防府市立三哲文庫(現・防府市立図書館)が開館。
戦後、建物は解体され、跡地は三哲文庫記念公園として整備されています。
生涯県外へ出ることがなく独学で発明を重ね、地元に尽力し、満66歳で亡くなりました。
現在、防府市青少年科学館ソラールの建物の前の広場に銅像があります。
柏木幸助(かしわぎこうすけ・発明家)
1856年(安政3年)三田尻に生まれます。
1875年(明治8年)日本で初めてマッチを製造、1883(明治16)年には国産初の水銀体温計の製造に成功。
1903年(明治36年)には消化酵素ジアスターゼを発見します。
メイ牛山(めいうしやま・美容家)
1911年(明治44年)、塩農家に生まれる。
18歳で単身上京。牛山清人が開いたハリウッド美容講習所に入り、美容師として頭角を現す。
「ハリウッド化粧品」で知られるハリウッド株式会社会長・ハリウッド美容専門学校学長・ハリウッドビューティサロン社長などの要職を歴任。90歳を過ぎても現役を貫き、2007年(平成19年)心不全のため逝去。
前田吟(まえだぎん・俳優)
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ビギナーにもわかる💡#男はつらいよ 登場人物紹介
\6⃣諏訪博(#博)#さくら の夫。
高校中退後、家出して朝日印刷へ入社。#寅さん が仲をとりもって #さくら と結婚。論理的な思考の持ち主でたびたび #寅さん の怒りを買う。成長した #満男 とのコミュニケーションに頭を悩ましている。 pic.twitter.com/HzFA1XjUvT— 映画『男はつらいよ』50周年プロジェクト (@torasan_50th) July 21, 2021
1944年(昭和19年)生まれ。
防府高校中退後、大阪の家具屋を経て俳優養成所に入所。1965年(昭和40年)ドラマ『純愛物語』の主演で俳優デビュー。
1969年(昭和44年)、映画『男はつらいよ』に出演、以後、シリーズ50作すべてに出演。
そのほか多くの映画、ドラマ、舞台に出演し、近年ではバラエティ番組の司会でも活躍されています。
山崎まさよし(やまざきまさよし・歌手、俳優)
1971年滋賀県大津市生まれ。8歳から防府で育つ。
防府西高校卒業後、中関港のマツダ防府工場で働きつつ、徳山(周南市)のライブハウスで活動を行う日々を過ごす。
1995年「月明かりに照らされて」でメジャーデビュー。
1997年、映画『月とキャベツ』に主演。自身が歌ったテーマ曲「One more time, One more chance」がロングヒット。
その後も精力的に全国ツアーなど音楽活動をされ、「セロリ」や「僕はここいいる」などヒット曲も多数。
春風亭正朝(しゅんぷうていしょうちょう・落語家)
1953年(昭和28年)生まれ。
防府高校から明治学院大学へ進学。在学中に、5代目春風亭柳朝に入門「正朝」となる。
1980年(昭和55年)に二ツ目、1985年真打昇進。
鈴々舎馬るこ(れいれいしゃまるこ・落語家)
1980年(昭和55年)生まれ。
防府高校から大正大学へ進学し中退。
2001年(平成13年)鈴々舎馬風(れいれいしゃばふう)に入門。
2006年(平成18年)二ツ目昇進。
2013年(平成25年)第28回NHK新人演芸大賞 落語部門大賞受賞。
現在は真打目指して奮闘されています。
常岡もい(つねおかもい・アイドル)
1992年(平成4年)生まれ。
山口県ご当地アイドルYamakatsuのメンバー。
防府市観光ポスター着物モデル、CMなどで活躍しています。
まとめ
防府市出身の有名人をご紹介しました。
これまでもソラールや市立図書館で、柏木幸助さんや上山満之助さんのお名前を見たことはあったのですが、どんなことをした方なのかほとんど知りませんでした。
今回調べてみたことで、わたしも子どもたちに「防府からこんな方々が有名になったんだよ」と、教えてあげられるのがうれしいです。
みなさんも、この記事を見て楽しんでいただけると幸いです。