防府市にある玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は、大変古くからの歴史を持つ周防国一ノ宮神社です。

社伝によると、創建年月は不詳ですが、景行天皇が熊襲征伐の折に立ち寄ったことが伝わっており、二千年の歴史を持つといわれています。

古くから多くの人々の信仰を集め、現在も地元をはじめとするたくさんの人々が参拝に訪れている玉祖神社。

神聖な空気漂う境内を、歴史や貴重な建物、自然に触れながら参拝できるスポットです。

つぶた
つぶた
玉祖神社にはどんなご利益があるのかな? 場所も知りたいな
なんたん
なんたん
とっても厳かで歴史を感じられる神社でしたよ
この記事では、周防国一ノ宮玉祖神社のご由緒、お祀りしている神様とご利益、境内の見どころや年間行事などをまとめました。

※2019年に執筆したものに、2025年訪問時の内容を書き加え修正しました。


玉祖神社・創建の歴史は

玉祖神社の創建年月ははっきりとわかりません。
しかし、残された史料からその沿革を辿ることができます。

738年(天平10年)の周防国正税帳に、玉祖神社の名が記載されています。
奈良時代以前からの歴史を持つ神社といえますね。

また、平安時代末期に成立したといわれる説話集「今昔物語」には、998年(長徳4年)「今ハ昔シ周防ノ国ノ一宮ニ、玉祖ノ大明神ト申ス神在ス」との記述が残されています。

これらの史料から、玉祖神社は大変歴史があり、古くから周防国でもっとも社格の高い「一ノ宮」として崇敬を受けていたことがわかります。

玉祖神社・御祭神、御由緒

玉祖神社の御祭神は、玉祖命(たまのおやのみこと)です。
神社の御祭神は二柱と伝えられていますが、玉祖命ともう一柱の神は不詳とされています。

玉祖命は三種の神器のひとつである「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を作った神とされています。

天照大御神が天の岩戸にお隠れになったときに、八百万の神々がお集まりになって天照大御神を岩戸から引き出そうとしました。

この時、玉祖命も八尺瓊勾玉をお造りになり、八咫鏡(やかたのかがみ、三種の神器のひとつ)とともに榊の木にかけられたといいます。

そして、玉祖命は日本神話の神・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に従った五伴緒神(いつとものおのかみ)の一柱として、国土統一の補佐をされました。

社伝によると、その後玉祖命は中国地方を平定し、神社のある防府市大崎の地で没せられました。
その御霊をお祀りしたのが、玉祖神社の起源であるといわれています。

その後、神社の祭祀は、玉祖命の子孫にあたる玉造連玉祖氏が司ったとされ、史料にも玉造部の名が残されています。

玉造部、玉祖連は全国各地に広がり、勾玉造りを行いました。

玉といえば、その輝きは、いつの世でもどこでも美しく心を癒すもの。

そのため、玉は平和のシンボルとされており、玉祖神社は平和の神としても崇敬されています。

また、日本最古の正史『日本書紀』に残されている、景行天皇12年に九州の熊襲(くまそ)征伐に戦勝祈願のために宝剣を奉納したとの由緒から、戦勝祈願のご利益もあるといわれています。

玉祖神社・見どころ

社殿

玉祖神社は歴史が古いため、その社殿の歴史にも多くの人々が関わっています。

1195年(建久6年)、東大寺再建の大事業にあたっていた俊乗坊重源(ちょうげん)は、無事に東大寺が完成したことに感謝し、玉祖神社の社殿の造替を行っています。

1335年(建武2年)には、大内弘幸が社殿を造営。
1598年(慶長14年)、火事により社殿が焼失しましたが、その後、毛利秀就によって再興されました。

現在の社殿は、1750年(寛延3年)、毛利宗広によって造り替えられ、明治時代に大修繕が行われたものです。

つぶた
つぶた
歴史が古い分、社殿にも紆余曲折があったんだね
なんたん
なんたん
焼失などのため創建当時の様子はわかりませんが、多くの権力者によって大切にされてきた神社であることがわかりますね

天然記念物・黒柏鶏(くろかしわけい)

天然記念物の黒柏鶏(くろかしわけい)は、山口県と島根県の一帯に、わずかに飼育されている日本鶏。
この黒柏鶏は、防府発祥の鶏なのだそうです。

鳴き声は普通7~8秒続き、なかには10秒に達するものもあるのだとか!

明治以降洋種が入ってきて日本鶏の数が減少し、その存在はとても貴重なものになっているそうです。

(訪問した際は、境内で休憩していました)

社伝によると、天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、八百万の神が常世長鳴鶏(とこよながなきどり)を集めて鳴かせたのが、この黒柏鶏とされ、のちに玉祖命が黒柏鶏を連れて、防府大崎の地に留まったといわれています。

(黒柏鶏発祥之地石碑)

神聖な森・県指定自然記念物樹林

境内裏手には社叢があり、自然記念物に指定されています。

比較的海岸に近いところに生息する植物と、内陸部に生息する植物が混在しており、また海岸植物も生息している、珍しい森なのだそうです。

社叢の中には小径があり、歩きながら神社の森の神聖な空気を感じることができますよ。

玉祖神社・年間行事、神事

玉の祭

毎年4月10日に近い日曜には、古くなった眼鏡を焼き上げ、供養する「玉の祭」が行われます。

玉の祭には、眼鏡、時計、カメラ、宝石などを生業とする多くの人たちが全国から参拝に訪れ、御祭神の御神徳に感謝し、これからの事業発展を祈ります。

つぶた
つぶた
レンズのことを玉ということから、メガネ関係者やカメラ業界からも信仰されているそうです

占手神事(うらてのしんじ)

(占手神事が行われる神門前)

9月25日に近い日曜日に催行される例大祭では、前日夜に「占手神事」という特別な神事が行われます。

この占手神事は山口県の無形民俗文化財に指定されており、例大祭の前夜祭として、神門前の石畳で篝火を焚いて厳かに行われます。

社伝によると、仲哀天皇と神功皇后が熊襲征伐の際に玉祖神社を参拝し、戦勝祈願とともに戦いの吉凶を占ったことに由来するとされています。

占手神事は、真夜中、午前1時~3時に行われたことから夜の神事といわれ、さらに、その儀式の形が相撲に似ていることから、「占手相撲」ともよばれているそうです。

また例大祭当日の早朝には、例祭特殊御供として、特別なお供えが捧げられます。

三足の土製の鍋(土鼎)2個に、炊いた白飯(白米)と黒飯(玄米)を半分ずつ盛り合わせたもので、盎(ひらか)と呼ばれる鉢に入れて供えられます。

このお供えも、神功皇后の戦勝祈願に由来するものです。
皇后は筑紫征伐の際に玉祖神社を訪れ、現在の佐野焼の始祖とされる沢田の長に土鼎と盎を作らせ、神に祈りを捧げたと伝えられています。

玉祖神社・御朱印と御守

御朱印、御守などは、社務所にて受付しています。

社務所の中には、御守と御朱印が並んでいます。
御朱印は書かれた紙が置いてあり、箱に500円入れるようになっていました。

御朱印帳を持参されると、その場で書いてくださいます。
奥に神社の方がいますので、声をかけると出てこられますよ。

なんたん
なんたん
以前訪問した際は、御朱印帳は玉祖神社オリジナルのものも頒布されていました。
黒柏鶏が描かれた紺色っぽい御朱印帳でした^^

玉の神をお祀りしているので、御守はきれいな勾玉がついているものがたくさん。
思わず手に取りたくなってしまう可愛らしいお守りでした。

おみくじは、参道脇の建物にて頒布されています。

なんたん
なんたん
黒柏鶏のおみくじがありました! かわいらしくて思わず授かってしまいました

玉祖神社・基本情報

場所 防府市大字大崎1690
問合せ 社務所: 0835-21-3915
御朱印・御守 社務所にて頒布
御朱印は通常の御朱印に加え、時季限定の御朱印あり
駐車場 あり(無料)
神社表側(二の鳥居前)に6~7台、一の鳥居付近と神社裏側にも駐車場あり
アクセス 山陽自動車道防府東I.C.から車で10分
山陽自動車道防府西I.Cから車で5分

まとめ

古くからの歴史を持つ、周防国一ノ宮玉祖神社をご紹介しました。

参拝に訪問した際、神社に詳しい方が玉祖神社についてお話してくださったのですが、ここ周防一ノ宮は山口県三大パワースポットのひとつと言われているのだそうです(お聞きしたのですが、他の二つを忘れてしまいました…)。

お聞きした通り、境内は心を清めてくれるような神聖な雰囲気に満ちていました。

防府に足を運ばれる際には、神話の時代から受け継がれている周防國一ノ宮玉祖神社へ、歴史の流れを感じにいらっしゃってくださいませ。

※玉祖神社のご由緒については、「玉祖神社略記」を参考にしました。