こんにちは、防府市の主婦なんたんです。

山口市ゆかりの詩人中原中也は幼い長男文也を亡くし、その悲しみから神経衰弱を昂じてしまいます。
そして彼もまた30歳という短すぎる生涯を閉じました。

波乱の人生を生きた中也ですが、今回はその中でも中也と息子文也の死因、文也の死と晩年中也の様子に迫ってみました。

中也の死因と息子文也の死因

中也は1937(昭和12)年10月、結核性脳膜炎を発病し30歳の生涯を閉じます。
亡くなる1年前の1936(昭和11)年11月には長男文也が小児結核のため亡くなっています。

文也と入れ替わるように生まれた次男愛雅(よしまさ)も、中也の死去した3か月後にわずか1歳の若さで病死します(病名は不明)。
そのため中也の直接の血筋は途絶えています

結核は大正時代から昭和20年代までは「国民病」「不治の病」と言われ、年間10万人以上もの人が亡くなる病気でした。当時の死亡原因第1位の病気だったそうです。

結核菌はふつうの細菌のように手や土の中などにいるものではなく、感染した人の体内で分裂、増殖し、咳などとともに放出された飛沫を大量に吸い込むことによってうつる菌なのだそうです。

当時は医学も発達していなくて、だれが結核菌を持っているかわかりません。
小さな子が元気に成長するのが当たり前である現代に比べ、子どもが無事に大人になるのが難しい時代でした。中也の兄弟も6人いるうち2人が早くに亡くなっています

息子文也の死と中也

(1歳3か月の頃の長男文也)

中也の長男文也は、2歳の誕生日を過ぎて間もない11月のはじめに様子がおかしくなったようです。

11月4日の中也の日記には「胃は相変わらずわるく、終日むずかる。明日にはなほるであらう」と楽観的に書かれていました。下痢が数日続いたようです。
結核は初期症状が軽くゆっくりと進行するため、中也もすぐに治ると思っていたのでしょう。

しかし一週間ほど日記に記載がなく、11月10日に文也が死去したことが書かれています。
亡くなった当時、妻の孝子さんは次の赤ちゃんがお腹におり臨月を迎えていました。

中也は文也の死を受けいれられず、棺の前で文也の遺体を抱きかかえて離さず、やっとのことであきらめさせて棺の中に入れたほどでした。
毎日仏様を拝み、文也の位牌がある六畳間から離れることがなく、お坊さんと長く話し込んでいたそうです。どんな話をしていたのでしょうか。

(文也の死後、日記に書かれた「文也の一生」)

文也の死後、幻覚を見たり幻聴が聞こえたりするようになり、中也は神経衰弱を患います。
そして千葉寺療養所へ強制的に入院させられます。神経衰弱の直接の原因は文也の死でした。文也の死によって精神の平衡を失くしてしまったのです。

ですが1か月ほどで中也は無理やり退院。
2月に鎌倉に引っ越してからは文学仲間との交流が盛んになり、それとともに少しづつ精神が回復していきました。

晩年の中也

鎌倉に移住してから病気がちになっていきます。
日記によると、転居後まもなくの3月はじめに風邪をひき寝込みます。
その一か月後にまた発熱。
5か月後の9月4日に左手中指の痛みを訴え医者にかかります。

そして倒れる2日前には頭痛を訴え、乱視のようにものが二つに見えたり熱もあった様子。
10月5日に病院に行き、大変な病気であることを告げられ鎌倉養生院に入院。
同じ月の22日の午前0時10分に永眠します。
母、妻、弟の亜郎、そのほか文学仲間である河上徹太郎や青山二郎らに見守られての最後でした。

死の前に、母の指をたばこを吸う時のように自分の指にはさんで二度吸い、「「僕は本当は孝行者だったんですよ」といい、「今にわかるときが来ますよ」とつけ加え、数秒おいて「本当は孝行者だったんですよ」といった。最後の声は正気の声であった」(中原思郎「死」より)

文也亡き後も、「曇天」や「春日狂想(しゅんじつきょうそう)」、故郷の名勝長門峡を題材にした「冬の長門峡」を創作。
故郷山口に帰ってもういちどやりなおそうと決意していましたが、それは叶わぬままとなりました。

(写真は『別冊太陽 中原中也』よりお借りました。その他、河出書房新社『年表読本 中原中也』を参照)

まとめ

今回は中原中也の死と死因、息子文也の死と晩年の中也についてスポットを当ててみました。

中也は短い生涯の中で350編もの詩を遺していますが、生前はなかなか文壇に認められませんでした。今になり時代が中也の詩に追いつき、多くの人が彼の詩を求めています。
死に際に言った「僕は本当は孝行者だったんですよ」「今にわかるときが来ますよ」と「今にわかるときがきますよ」の言葉が現実になったんですね。

わたしたちは彼が遺した多くの詩を味わうことができて幸せだな、と思うのです。

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