山口県の南東部に位置する熊毛郡田布施町は、面積50.35平方kmほどの小さな町です。
瀬戸内海や山々の自然に恵まれた田布施町は、岸・佐藤両総理大臣を生んだ地としても知られています。
※敬称略、順不同で記載、紹介しています。ご了承ください。
岸信介
内閣総理大臣(在職期間:1958(昭和33)年6月12日~1960(昭和35)年7月19日)
1896(明治29)年~1987(昭和62)年
出身地:田布施町
東京帝国大学法学部を卒業。1942(昭和17)年、衆議院議員に当選。
満州国経済の軍事化を推進し、太平洋戦争開戦時の商工大臣をつとめ、戦時経済の指導を行いました。
敗戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されますが、1948(昭和23)年釈放。
その後、政界に復帰し、日本民主党幹事長、自民党幹事長などを歴任。1958(昭和33)年、内閣総理大臣に就任します。
在任中、国民の強い反対の中、日米安全保障条約改定を強行。
反対運動は安保闘争に発展し、岸内閣は総辞職しました。
佐藤榮作
内閣総理大臣(在職期間:1964(昭和39)年11月9日~1972(昭和47)年7月7日)
1901(明治34)年~1975(昭和50)年
出身地:田布施町
東京帝国大学卒業後、鉄道省へ入省。1949(昭和24)年、衆議院議員に当選し、大蔵大臣、運輸大臣などを務めました。
1964(昭和39)年、総理大臣に就任。7年8ヶ月の在任期間中に、沖縄返還、日韓基本条約、非核三原則を実現しました。
これらの功績により、1974(昭和49)年、アジア初のノーベル平和賞を受賞しています。
松村邦洋
1967(昭和42)年~
出身地:田布施町
田布施農業高校を卒業後、九州産業大学に進学するも、中退してお笑い芸人の道へ。ものまねタレントとして一躍有名に。現在もバラエティやラジオでお茶の間をにぎわせています。
また、2020年にYouTubeを開設。歴史や野球の知識が豊富で、YouTubeでも地元・田布施の歴史や魅力なども語っていますよ。
応援したいですね^^
国木田独歩
1871(明治4)年~1908(明治41)年
出身地:千葉県
多くの自然主義文学作品や、アニメ『文豪ストレイドックス』のキャラクターで知られる、明治時代の文豪・国木田独歩。
彼の生まれは千葉県銚子ですが、5歳のころ山口県に移り住み、青春時代を山口県内で過ごしました。
田布施町には、1891(明治24)年5月から8月まで滞在。
一家が身を寄せていた吉見家に住み、吉田松陰の門弟(富永有隣)に影響を受けて英学塾を開校しました。
短い期間でしたが、田布施は独歩にとって思い出深い土地だったのでしょうか。
『帰去来』『富岡先生』『少年の悲哀』『酒中日記』など、田布施を舞台にした作品を多く残しています。
⇒【国木田独歩】文豪のエピソードや妻の回想・山口にゆかりのある文学者の生涯を辿る
富永有隣
1821年(文政4)年〜1900(明治33)年
出身地:現在の山口市
9歳で藩校・明倫学舎で学んだ秀才。13歳で藩主世子 ( 藩主の嫡男 ) に「大学」を講じました。
性格が災いして野山獄に投じられるも、同じく投獄された吉田松陰と出会って意気投合。
出獄後は助教として松下村塾を手伝います。
松陰亡き後は、第二次長州征伐では志士として鋭武隊を率いて戦闘に参加。
晩年は田布施に身を寄せ、著述のかたわら「帰来塾」を開き、若者の教育に力を尽くしました。
末岡精一
1855(安政2)年~1894(明治27)年
出身地:田布施町宿井
1882(明治15)年、文部省の特別留学生に選ばれ、オーストリア・ドイツで学ぶ。帰国後、帝国大学の法科大学教授に就任。東京図書館長も兼任しました。
1889(明治22)年には、日本法律学校(現日本大学)の創立に参画しました。
紙本栄一
1903(明治36)年~1995(平成7)年
出身地:田布施町
「居合道の神様」と呼ばれた人物。
軍隊生活を経て、1928(昭和3)年、居合の修行のため上京。
帰郷後は、教員免許を取得し学生の武道を指導。山口県警の名誉師範となり、山口刑務所、山口大学でも師範を歴任しました。
また「剣居一体」を唱え、全日本剣道連盟居合の制定に尽力しました。
山口市瑠璃光寺五重塔の前には、紙本栄一の銅像が建立されています。
まとめ
田布施にゆかりのある有名人をご紹介しました。
田布施といえば政治家が多いイメージでしたが(もちろん多いのですが)、ほかにもゆかりのある人物がいらっしゃいましたね。
自然豊かで瀬戸内海に面する田布施町で、ゆかりのある人物の足跡を辿ってみませんか。