毎年11月の第4土曜日は、防府天満宮の御倖祭(裸坊祭)。
街中の至るところから「兄弟わっしょい!」の掛け声が聞こえてきます。
御神幸祭(裸坊祭)は、今年でなんと1021回目!
御祭神・菅原道真公の御霊に「無実の知らせ」をお伝えし、お心をお慰めするために、平安時代末期から行われているお祭りです。
白装束に身を包んだ裸坊たちが、道真公の御霊を乗せた重さ約500キロの御網代を引いて大石段を滑り降り、勝間の浦(御旅所)までを往復します。
祭りの荒々しさは、西日本有数といわれるほど。見ごたえ充分のお祭りですよ。
また、御神幸祭翌日の日曜には、天神おんな神輿が華やかに行われ、防府の街は二日間にわたって祭りの雰囲気でにぎわいます。
防府天満宮 御神幸祭(裸坊祭)・基本情報
開催日時、内容
開催日 | 2024年11月23日(土) ※例年、雨天でも順延中止はなし |
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祭り会場 | 防府天満宮、防府市内 |
スケジュール | ■11月23日(土) 日中から夕方:各団体の神輿練り歩き 午後6時:御発輦(ごはつれん) 午後9時頃:御帰還 御網代くぐり(御帰還直後より翌日20時まで) ■11月24日(日) 正午から:天神おんな神輿奉納 ルルサス防府~防府天満宮を練り歩き |
公式サイト | 日本最初の天神さま 防府天満宮 |
防府天満宮 御神幸祭の見どころ
各団体の神輿の練り歩き
街中の賑やかで裸坊の気合あふれる雰囲気を味わうのが、御神幸祭の楽しみのひとつです。
御神幸祭当日は昼過ぎから夕方にかけ、防府の街中の至るところから「兄弟わっしょい!」の掛け声が響きわたります。
各企業や子ども会の男衆が白装束に身を包み、18時の御発輦に向けておよそ100基のお神輿が街中を賑やかに練り歩きます。
途中、神輿をぐるぐると回したり勢いよくお餅を投げたり。
さまざまにパフォーマンスしながら、防府天満宮の境内へ向かいます。
58段の大石段を上る際、裸坊は石段をダーッと一気に駆け上がります!
石段を駆け上がるのが習わしなのだそうですよ。
こうして夕方になるにつれ、神輿を担いだ裸坊がどんどん防府天満宮の境内へ集結。祭りの熱気が高まってきます。
御発輦(ごはつれん)
御神幸祭のいちばんの見どころは、午後6時の御発輦。
2基の神輿、台車のあとに、道真公の御霊を載せた500キロの御網代様が、58段の大石段を滑り降ります!
その様は圧巻の一言です!
大変危険なため、過去には、けが人も多く出たというこのお祭り。
もちろん一般の見学者は大石段に入ることがはできません。
石段の脇や下からじっと見守ります。
人が多くて、なかなか御網代が滑り降りる様子は見ることができません。
それでも、ゴオンゴオン!と石段を滑る音や、裸坊の激しい掛け声をまぢかで聞くことができ、臨場感たっぷり!
祭の迫力にものすごく感動すること間違いなしです。
ベストポジションは石段の脇です。早めにスタンバイしておきたいですね。
浜殿神事、御還幸祭(かんこうさい)
御網代は防府の街を練り歩いて勝間の浦へ向かい、浜殿神事を執り行い、道真公の御霊を慰めます。
その後、午後9時ごろ防府天満宮へ御帰還し、すぐに御還幸祭が執り行われます。
御網代奉安(おあじろほうあん)
勝間の浦(御旅所)で神事を行い御帰還された御網代は、回廊に奉安されます。
御網代の下をくぐると御利益があるといわれており、翌日の20時まで奉安されている御網代には参拝客が列をなして並びます。
天神おんな神輿
男衆が活躍する御神幸祭の翌日、祭りの主役は女衆に交代。
日曜の正午から、「燃え尽きてこの一瞬 美しくしなやかに そして粋に」をテーマに、神輿2基を担ぎ防府の街を練り歩く「天神おんな神輿」が行われます。
「天神おんな神輿」が始まったのは、昭和62年。
1000年以上の歴史を持つ御神幸祭と、まだまだ歴史の浅いおんな神輿。
荒々しい御神祭に対して、おんな神輿は200人以上の女衆が華やかに舞います!
駐車場、交通規制
会期中は、防府の市街地道路に交通規制があります。
周辺道路は大変混雑しますので、当日はできるだけ、車での参拝をご遠慮ください。
23日(土)13時~23時
24日(日)11時~17時
【無料駐車場】 天満宮裏手の大駐車場、競輪場周辺駐車場など(1000台) 松崎小学校(250台) 佐波中学校(150台) ※参道ふもとの「うめてらす」駐車場は、交通規制のため駐車できません。 |
【有料駐車場】 カリヨン203(200台) 銀座町駐車場(55台) ルルサス駐車場(200台) 市中央町駐車場(100台)ほか |
防府天満宮 御神幸祭・特別御朱印
例年、祭りが行われる11月第4土曜と翌日の日曜に、特別御朱印が頒布されます。
御朱印に書かれているのは、道真公が防府に立ち寄られた際に詠われた、(天皇のいらっしゃる陸続きのこの地で無実の知らせを待っていたい)という願いの込められた歌です。
11月23日(土)8時~21時頃
11月24日(日)8時~20時
御初穂料:700円
※紙の御朱印で頒布します。
※通常の御朱印の頒布もあり(御朱印帳にお書きします)。
防府天満宮 御神幸祭・歴史と由来
道真公と無実の知らせ
平安朝の右大臣であった菅原道真公は、左大臣・藤原時平に陥れられ、無実の罪で太宰府に左遷されました。
太宰府に下られる途中、本州最後の寄港地として、ここ防府の勝間の浦にお立ち寄りになり、(願わくばここ松崎の地に住まいを構え天皇からの「無実の知らせ」を待っていたい)と願われたそうです。
その後、太宰府の地で無実の知らせを待ち続けましたが、叶うことなく薨去されたのでした。
薨去された年(903年)、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲がたなびきました。
人々は道真公が御霊となって勝間の地に帰ってこられたのだと悟り、この地に住まいを構えたいと願われたように、薨去された翌年の904年、防府天満宮(当時は松崎の杜)を創建したのです。
人々は松崎の杜をお守りしながら、道真公の無実の知らせを待ち続けました。しかし知らせは届かず、道真公のお心も晴れることがありませんでした。
創建100年にあたる1004年、天皇の勅使が防府に使わされ、長年待ち焦がれた道真公が無実であったという知らせが奏上されました。
この時以来、道真公に無実の知らせを奏上し、お心を慰める御神幸祭が行われるようになり、現在に至るまで1000年以上の間受け継がれています。
別名「裸坊祭」というのはなぜ?
御神幸祭は、別名裸坊祭と呼ばれています。
祭りに奉仕するのは白い装束に身を包んだ裸坊と呼ばれる男衆です。
祭りが創始された当初は、限られた家柄の者にだけ渡御(神輿のおでまし)が許されていました。
ですが、江戸時代の終わりになると天神信仰が高まり、一般の者たちも奉仕を熱望するようになりました。
そこで、身の潔白を示せば奉仕に加われることとしたのです。
佐波川で水を浴びて穢れを払い、そのままの姿で奉仕に参加したため、裸坊と言われるようになりました。
古くから、奉仕できるのは男性のみに許されており、今も御神幸祭は男衆の祭とされています。
祭を見て育ち、その姿にあこがれて参加する裸坊も多く、祭りの心は防府市民の間で連綿と受け継がれています。
まとめ
今回は防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)をご紹介しました。
防府市民にとって、誇りであり血潮に刻まれている防府天満宮御神幸祭。
わたしも以前見に行かせていただき、みなさんの思いと迫力に圧倒され、これからもこのお祭りが受け継がれていってほしいと心から感じました。
多くの方に実際に参加し、見ていただけると幸せます。