みすゞさんがその命をかけても守りたかったもの、それは娘のふさえさんでした。
みなさんはふさえさんがその後どんな人生を歩み、自ら命を絶った母みすゞさんをどう思っていたか、気になりませんか?
今回はふさえさんのその後、そして幼いふさえさんの言葉を記した『南京玉』についてご紹介します。

みすゞの一人娘・ふさえさんへの思い

みすゞさんが生きた明治大正、昭和初期は、男尊女卑の強い時代で離婚のあと母親が子供の親権を持つことはなく、父親が子どもの親権を持つのがあたり前の世の中でした。

親として子どもに与えられるもの。
商才があり計算上手な夫に育てられるよりも、自分の心の世界の基盤を作ってくれた穏やかで心豊かな母ミチさんに育ててもらうことで、ふさえさんにはお金ではなく豊かな心の糧を与えたい・・・。
そのために、昭和の初めの男尊女卑の強い時代の中で、必死の抵抗を試みたとされています。

ふさえさんのその後とみすゞさんへの思い

ふさえさんの思い

みすゞさんが命を絶ったあと残された遺書を元に幾度も話し合いが行われ、娘のふさえさんはみすゞさんの思いの通り、母ミチさんのもと下関で育てられました。
みすゞさんが命を絶ったのは、ふさえさんが3~4歳ごろ。ふさえさんには母みすゞさんの記憶はあまりないのだそうです。

親子心中ということばもありますが、当時は親子関係として子どもは親のものとして親が死ぬときは子を道連れにするのがあたり前という時代でした。
そういう時代でしたので、ふさえさんは母が自分を置いていってしまった、自分は母親に愛されていなかったと思っていたそうです。

ひとりの母親として、娘を取り上げられるのはつらいことです。
よき母親としてのテルさん(みすゞさんの本名)、童謡詩人としてのみすゞさん。
自分の思いの分身である童謡の創作も流行が薄れたこともあって思うようにならず、両親の愛溢れる家庭を夢見ていた生活もうまくいかず、治らない病気になり、さらには最後の心の拠りどころだったふさえさんを失うことは確かに大きな悲しみだったことでしょう。

だけど、どうして娘を母に託して一人この世を去ったのだろう・・・と、やはり一母親として思ってしまうところもありますが、時代の慣習に逆らうにはああする他なかったのでしょうか・・・。
故人の心の中は今となっては計り知れず、様々に絡み合う思いはみすゞさんにしかわかりません。

母ミチさんの愛

きっと、同じく母親として娘テルさん(みすゞさん)を自殺という形で失ったミチさんは、どれほど自責の念にかられたか、孫であるふさえさんを育てることがどれだけ救いになったのだろう、と思います。

ふさえさんもミチさんを回想し、「いっさい愚痴を言わなかった。すごいですよね。だって、自分の娘が自殺して、小さな子供を残されて、その子を一生懸命育てなければならないのに、・・・(後略)」と語っています(別冊 太陽より)。テルさんの思いもご自身の自責の念も、すべてを受け入れる覚悟で思いをこめて育てられたのでしょうね。母の愛の大きさを感じます。

ふさえさんは20代前半に結婚します。
それまでは母親に置いて行かれたという思いからか、結婚しないし子どもも作らない、と言っていたのですが、ご縁あって子どもを持つことになり、みすゞさんが自分を残してくれたことを「よかったこと」と思えるようになったそうです。
みすゞさんからふさえさん、ふさえさんからまた娘さんへと伝えられる命のつながりを感じられたことでしょう。

親に対する批判や複雑な思いは誰しもあるかもしれませんが、子どもという宝物と向き合っていく中で、親が自分に命をつないでくれたからこそ今自分の子がここに存在することへのありがたさ、親から自分、自分から子へのつながりを感じられるようになった・・・自分の妊娠、出産をふりかえっても、そのように思います。

幼いふさえさんの言葉を綴った『南京玉』

3歳になるふさえさんのおしゃべりを書き留めた小さな手帳があります。
それが『南京玉』です。

昭和4年10月ごろから翌2月までの間、みすゞさんが亡くなる1ケ月前まで、ふさえさんの口から出てくる言葉を漏らさぬようにひとつひとつ書きとめたものです。
その中に書きとめられている言葉は、小さい子の可愛らしいおしゃべりです。
前書きの一部にはこう書かれています。

「なんきんだまは、七色だ、一つ一つが愛らしい。
尊いものではないけれど、それを糸につなぐのは、私にはたのしい。
この子の言葉もそのやうに、一つ一つが愛らしい。」

幼い子どもの一言一言は、真実をみすかすような曇りのない美しい言葉です。
慣れない子育てで毎日髪を振り乱し、余裕なくあくせくしていたわたしにも(笑)、子どもの発した忘れられない美しい言葉がいくつかあります。書き残してはいないものの、それらの言葉を思い出すたび、心が温かくなるのを感じます。

みすゞさんも病気や夫との別居、離婚など、立ちゆかない現実に対し心の中に留めていたつらい思いを、可愛らしい言葉たちにどれほど癒されたことでしょう。
そんなキラキラした言葉を集めた『南京玉』は、みすゞさんからふさえさんへのたくさんの愛がこもった宝箱

それまでふさえさんは、『南京玉』の最後に書かれている「このごろ房枝われと遊ばず」が印象に残っており、愛されていなかったと思っていたそうです。
後年になり『南京玉』の出版に際してきちんと読み返したことからみすゞさんの愛がふさえさんへと伝わったそうで、それは本当に何より嬉しいことだなあ・・・と。時代は違えど一人の母親として、思います。
「珍しいことですよね、自分が70才を過ぎて、初めて母と娘になるってことは、ちょっとないでしょう。」(別冊太陽 「生誕100周年記念金子みすゞ」より)

まとめ

みすずさんの娘・ふさえさんのその後、『南京玉』を通しての母娘の心のつながりをご紹介しました。
ふさえさんは『南京玉』が出版される際のあとがきに、「今度会ったら、ほめてくださいますか」と書かれたそうです。
その一言に、今のこの時代に両親も健在でなにごともなく過ごせていることが、とても幸せなことなのだと心から感じられました。家族が元気であること、一緒にいられること、言葉を交わせること。些細な日常のあたり前の幸せを、噛みしめ直したい・・・ふさえさんの言葉から、そんなことを感じました。
この記事がみすゞさんについての思いを深めるお役に立てたなら、幸せます^^