こんにちは、防府市の主婦なんたんです^^

激しい性格でお酒を飲むと誰かれとなくケンカを売り、かといってとても繊細で神経衰弱を病むなど、激動の人生を歩み若くして亡くなった山口ゆかりの詩人、中原中也
その人生の中で彼に寄り添い、支えた女性がいました。妻の上野孝子さんです。

激しい気性の中也を支えた孝子さんはどんな方だったのかが気になり、今回は二人の出会いや孝子さんの人柄、中也亡き後どんな人生を歩まれたのかを調べてみました。

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詩人中原中也の生涯についてはこちらの記事でご紹介しています。
中原中也の生涯~死因、妻、子孫、身長に迫る!~波乱の人生を駆け抜けた詩人

中也と孝子さんの出会い

中也と孝子さんは1933(昭和8)年12月に結婚しました。
その時、中也26歳、孝子さんは20歳
中也の母、フクさんのお母様のお姉さんが孝子さんを中也のお嫁さんにどうかとすすめてくれたそうです。
10月にお見合いをし、その日のうちに結婚することを決めました。よっぽど気が合ったのでしょうか。

フクさん、弟の思郎さんの証言によると、この結婚について中也は「最も素直な子」であったそう。「孝子が気に入ったからかもしれないが、母から金をせしめたとき以外は、すべてについて一言あった中也が、結婚については全く従順な息子であった。」(中原思郎『兄中原中也と祖先たち』より)

(西村屋旅館の大広間)

結婚式は湯田温泉の西村屋という温泉旅館で行い、翌日は山口の知名士を大勢呼び2日にわたって盛大に行なわれたといいます。

上野孝子さんはどんな人?

出身や人柄は

孝子さんは美人で気品があり、頭が良くてとてもさっぱりとした性格の方だったそうです。
ですが、孝子さんは孤独な身のうえの女性でした。

上野家は中原家と遠い親戚にあった、山口県佐波郡の名家だったそうです。
父は失踪、母は父がいなくなったため他の家に嫁ぎ、孝子さんは一人いた叔母さんのお世話になっていました。
その叔母も中国の大連にいたため、家や田畑は人手に渡っていました。住む場所のない孝子さんは、遠縁にあたる山口市吉敷の松永家に暮らしていたとのことです。

中也との身長にまつわるエピソード

孝子さんは中也より2センチも背が高かったそうです。
中也は身長150センチと言われていますので、当時にしてもとても小柄だったんですね。

お見合いの時、座敷に中也が座っていたそうで、孝子さんはその時中也の背が高いのか低いのかわからなかったそう。
のちに「あのとき立たしてみりゃあよかったですよ。あんなに背が低かろうとは思いませんでした」と言って、母フクさんをよく笑わせていたのだとか。

(結婚式の後に撮影した写真)

結婚式後の写真を撮る際も、新婦の方が背が高いことを隠すために孝子さんを椅子に座らせたそう。それでも真実は隠せなかった、と中也の弟、思郎さんは著書の中で回想しています。

東京での結婚生活

結婚後、ふたりは東京の四谷花園町の花園アパートに住んでいました。
酒癖の悪い中也なので、やはりいろいろなことがあったようです・・・。

作家、大岡昇平さんと中也が大ゲンカしたことがあったらしく、孝子さんも止めに行ったそうです。止めてもケンカをやめない中也でしたが、のちに孝子さんはフクさんに、こまい男(中也)が大きな男にかかっていくのが「おかしゅうて、おかしゅうて」と笑い話として話してくれたそうです。

何かと一言つけないといられない中也は、孝子さんにもしょっちゅうガミガミ言っていました。結婚当初は中也のお小言に縮み上がってた孝子さんですが、しだいに中也が怒ってもケラケラと笑うようになったそうです。
笑って聞くと相手も怒る張り合いがないから怒るのをやめる、と知っていたんですね。本当に頭の良い方だったんですね。

青山二郎は著書『私が接した中原中也』の中で、「中也は明るい性格の孝子さんを愛し、孝子さんへの愛が中也を更生させていた」と書いています。その中には、中也が居酒屋に行くのに孝子さんを連れていき、中也がお酒を飲む間に孝子さんがカレーを2皿平らげるなど、ほほえましい結婚生活の様子も記されています。

また孝子さんは長男文也を妊娠中、目が見えなくなる病気にかかり、3、4ヶ月の間、毎日中也に手を引かれて病院に通っていたそうです。
いろいろなことがありながらも、穏やかな生活を築いていたのですね。

中也亡き後の孝子さんは

(中也が撮影した愛雅と孝子さん)

1934(昭和9)年、長男文也が産まれますが、満2歳の誕生日を迎えてしばらく後、文也は小児結核のため亡くなります。
文也を失った中也は神経衰弱に陥り、精神病院に入院。次男、愛雅が産まれますが、彼は心身をすり減らしたままでした。

中也は文也の死後の一年後、結核性脳膜炎を患い30歳の若さでこの世を去ります。そして愛雅もわずか1歳で亡くなってしまいます。
孝子さんは愛する家族を失ってしまったのです。

夫と子どもたちを失った孝子さんにとって、家族といえるのは中也の母フクさんだけ
中也の死後、孝子さんはフクさんと一緒に湯田温泉の家に住むことになりました。
家族を失った悲しみは深く、中也や子どもたちのことを思い出しては泣き暮らしていたそうです。

フクさんは何か孝子さんの気を紛らわせようと考え、いろんなお稽古事をさせたそうです。孝子さんはお茶、お花、謡、琴、お仕舞などほんとにいろいろなことを習っていたようで、習い事で忙しくしているうちにだんだん泣かなくなってきたのだとか。

孝子さんは中原家の養子になり、中也が亡くなって16年のち、40歳手前で中原家からお嫁にいきました。
フクさんとは本当の親子のような関係を築いていたそうですよ。

(参考文献:中原フク『私の上に降る雪は わが子中原中也を語る』講談社、青木健編著『年表作家読本 中原中也』河出書房新社、『別冊太陽 中原中也』 文中の写真は『別冊太陽』からお借りしました。)

まとめ

今回は中原中也の妻であった上野孝子さんについてご紹介しました。
中也の怒りを笑いでかわすなど、とても明るい方だったんですね。この方じゃないと、中也の相手は務まらなかったのではないでしょうか。

ご両親もおられない状況で中也と結婚し、家族ができたことは嬉しかったことだったろうに、それがまた一人に戻ってしまうとは本当に大変な、波乱に富んだ人生を送られたんですね。
中也亡き後は詩をつくったり小説を書くような文学家を嫌ったようで、「私はああいう連中にはもう寄りつかん」とフクさんに話していたそうですが、本心だったのでしょうか。どうなのでしょうね。
再婚後の様子はわかりませんが、幸せな人生を送られたことを願っています。