日本最初の天神さまとして有名な防府天満宮。なぜ京都でも左遷の地でもない、ここ山口県防府市に菅原道真公をお祀りする天満宮が建立されたのか、ご存知でしょうか?

今回は、道真公のご生涯と防府との関係、また天満宮のご利益について調べてみました!

道真公の不遇の生涯

平安時代初期の845年学者の家として栄えていた菅原家に生まれた道真公。
なんとわずか5歳の時に庭に咲いている梅の花を愛でて、

「美しや目にの色なる梅の花  阿呼が顔にもつけたくぞある」

と和歌を詠まれました。
我が子が5歳の時に和歌を詠んだら、びっくり仰天ですね・・・。当時は当然、神童と称されていました

その後33歳で学者として最高位であった文章(もんじょう)博士にのぼりつめます。
学問の神様として祀られているのもこのためですね!

道真公は学問のみでなく武道にも秀でており、弓矢を射れば百発百中だったとのこと!文武両道とは羨ましい・・・。
弓矢に熟達していたことに由来し、防府天満宮では年の初めに「弓始式」が行われています。

また当時の宇多天皇の信任を受け、政治でも要職を歴任します。
道真公で有名なのは、遣唐使の廃止です。それまでは中国からの文化を積極的に持ち帰っていたのですが、遣唐使を廃止することにより日本独自の文化が花開くことになります。その一役を担ったのが道真公でした。

そして順調に55歳の時には右大臣にまで昇りつめますが、家格を超えた破格の昇進はだんだんと多くの者からの妬みを買うようになります。藤原家など政治家の家柄ではなく、もともと学者の家柄ですからね・・・。
そのため策略により醍醐天皇を廃そうとしているというあらぬ疑いをかけられ、太宰府に左遷されてしまいます。
左遷後は太宰府ではせまいあばら家で幽閉生活を強いられ、903年に59歳でその生涯を閉じます。

防府天満宮の由来

日本各地には道真公をお祀りした神社はおよそ12000社もありますが(ビックリですね!)、防府天満宮はその中でも最初に創建された天神さまと言われています。

 道真公は左遷にあたり、船で海路を通って太宰府に西下します。当時の船旅ですので、多くの地に寄港しながらの休み休みの旅で、およそ55日程度かかったそうです。

本州では最後の寄港地・防府市の勝間の浦に立ち寄られ、しばらく滞在します。防府市には周防の国の国司である、菅原氏と同族の土師氏がおり、それを頼っての寄港でした。

滞在中、現在の天満宮がある酒垂山(さかたりやま、今の天神山)に登られたときに、

 「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」

(この港を出発すれば次はいよいよ九州であるが、この防府の地は天皇のいらっしゃる京の港とまだ地続きである。願わくはここ松崎の地に住まいを構え「無実の知らせ」を待っていたい。)

との歌を詠まれ、この地に心を残しつつ九州へと旅立たれました。

 

903年、太宰府で道真公が亡くなられたちょうどその日、勝間の浦に神光があらわれ、酒垂山に瑞雲がたなびき人々を驚かせたと言われています。

周防の国司は、道真公の御霊が願いの通りにこの地に帰ってこられたと悟ります。
そして翌年の904年、道真公が歌に詠まれた通り酒垂山に社殿を建立し、「松崎の杜」と号しました
これが防府天満宮創建の由来です。

無実の知らせの奏上

 道真公の死後、左遷に関わった者たちが次々に変死を遂げます。930年には平安京の建物のひとつである清涼殿が落雷を受け、朝廷の要職についている多くの人たちが負傷します。
さらには、その様子をみた道真公左遷時の天皇である醍醐天皇も、体調を崩して崩御します。

これらのできごとはすべて道真公の祟りと恐れられ、その御霊を鎮めるために道真公を神としてお祀りしたのが、947年に創建された京都の北野天満宮です。

 亡くなって20年後、道真公は以前の右大臣の地位に復されます。さらには993年には正一位の左大臣、太政大臣のという地位が贈られたのでした。

こうして道真公の名誉は回復されたのですが、防府にある道真公の御霊のもとに直接「無実の知らせ」が届くことはありませんでした。

松崎の杜創建から100年目1004年、平安時代も後半になる頃ようやく一条天皇の勅使が防府に使わされ、初めて天皇から道真公に「無実の罪」が奏上されたのでした。 

それ以降、無実の知らせを道真公に知らせる御神幸祭が行われるようになり、1000年以上にもわたって防府天満宮の重要なお祭りとして受け継がれています。

防府天満宮のご利益は?

 平安の世の超秀才だった道真公は、もちろん学問の神様としてあがめられています。

ここ防府天満宮にも合格祈願のお守りや鉛筆、そして「受験はちまき」など、多くの受験御守が頒布されており、受験シーズンには大変多くの受験生が合格祈願に訪れます。
境内には、「合格しますように」と書かれた数多くの絵馬が所狭しと掛けられています。

古来から雨を降らせる雷を天神として崇めており、道真公は農業の神様として、またそのたいへん誠実なお人柄から正直の神様としても崇敬されています。

そして防府天満宮の境内には「LOVE神社」の石碑があります。官公はとても家族愛の深かった方だったそうです。それにあやかり、家族、友人、恋人など世界中が愛に満ち、平和な世の中になるようにとの願いを込めた石碑です。
この石碑は縁結びのパワースポットとしても人気があるんですよ^^

まとめ

 道真公と防府市の関係、いかがでしたでしょうか。
当時の国司や防府の人々の、左遷された道真公の悲しみを我がことのように思う気持ちが感じられました。その生涯と防府とのかかわりを知ると、天満宮への日ごろの参拝がより感慨深いものになりますね。

防府市民の道真公への思いがこもった、連綿と続く御神幸祭や数々の年中行事も身近でご覧になっていただけたら、と思います。
ぜひお近くにお立ち寄りの際は、防府天満宮にお越しくださいませ^^