こんにちは、防府市の主婦なんたんです^^
下関市綾羅木海岸の近くにある中山神社。
歴史は浅いのですが、幕末からの由緒がある神社です。
境内の摂社には清朝のラストエンペラーの弟君をお祀りした「愛新覚羅社(あいしんかくらしゃ)」があるんですよ。
そのほか、境内にはたくさんの見どころがあり、一度は歴史を感じにご参拝いただきたい神社です。
今回は、境内の中に江戸末期から近代までの歴史が詰まっている中山神社のご由緒やご利益、愛新覚羅社についてご紹介します。
中山神社の御祭神、中山忠光命
中山神社の御祭神は中山忠光命。明治天皇の叔父にあたる方です。
もともとは幕末の孝明天皇に仕えていた公家でしたが、土佐や長州の尊王攘夷派の志士たちと交遊を持ち、尊王倒幕運動に傾倒します。
文久3年(1863年)、下関での攘夷戦争に参加するため、官位を辞して下関へ。その後、幕府を武力で倒そうとした「天誅組」の首領として謀反を起こしますが、戦いに敗れ長州藩に亡命。
長府藩に幽閉され藩内各所を転々とし、元治元年(1864年)、幽閉先の下関市豊北町(田耕村杣地)にて藩の保守派に暗殺されました。享年わずか20歳でした。
亡骸は刺客によって当神社のある松林にひそかに埋葬されましたが、奇兵隊が探し当て、木の墓標を建てました。慶応元年(1865年)豊浦藩が墳墓のうえに社殿を造営し、忠光公の英霊を祀ったのが中山神社の始まりとされています。
現在は、社殿右側の少し小高い場所に花崗岩で作られた忠光公のお墓があり、国の史跡に指定されています。
また中山神社には、明治天皇、天照皇大神も主祭神として祀られています。
愛新覚羅社の由来
中山神社の境内にあるは愛新覚羅社。
ここには、ラストエンペラーで知られる清朝最後の皇帝で、後の満州国皇帝にもなった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の弟・溥傑(ふけつ)とその妻・浩(ひろ)、二人の長女である慧生(えいせい)が祀られてます。
それにしても、なぜ下関に愛新覚羅社が?と、疑問に思うのではないでしょうか。
じつは溥傑の妻・浩は、御祭神中山忠光公のひ孫にあたります。
わずか20歳でこの世を去った忠光公でしたが、侍女のトミが子を身ごもっていました。
生まれた女の子は、公家で華族である嵯峨侯爵家に嫁ぎ、その孫娘がひ孫の浩さんにあたります。
「日本と満州国を結ぶ親善結婚」として、関東軍が満州国皇帝の弟である溥傑と日本人女性の結婚を画策。浩さんに白羽の矢が立ちふたりは結婚。その後、波乱の人生を送りました。
浩さんの遺言により中山神社境内に愛新覚羅社が建てられ、愛新覚羅家の三柱を祀っています。
また愛新覚羅社は、溥傑・浩夫妻の海を越えた愛の深さから、恋愛の神さまとして信仰を集めているんですよ。
宝物館
社殿左側には無料で見学できる宝物館があります。
館内には山口県の歴代総理大臣や幕末の志士の書、愛新覚羅溥傑と妻の浩さんの書や天皇家から愛新覚羅家に送られた記念品など、多数展示。
歴史に深い関心がないわたしでも、無料で見ても良いのだろうかと思うほど価値のある資料ばかり。一見の価値がある宝物館です。
料金:無料(任意)
開館時間:10時~15時
休館日:年中無休
御朱印、御祈願の受付は
御朱印、御守、御祈願の受付は、拝殿近くの社務所で行っています。
社務所に人がいない場合はインターホンを押すと、神社の方が来てくださいますよ。
御朱印は御初穂料300円です。
中山神社 施設情報
所在地 | 下関市綾羅木本町7丁目10-8 |
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問い合わせ先 | 083-253-0704 |
駐車場 | 鳥居前にあり(無料) |
アクセス | JR山陰本線綾羅木駅から徒歩でおよそ5分 JR下関駅からサンデンバス横野行でおよそ20分、「中山神社前」で下車すぐ ※JRもバスも1時間に1便ぐらいです。便数が少ないので事前に時刻表を確認して来られることをおすすめします。 |
公式HP | なし (下関市公式観光サイト「楽しも!」内 中山神社・愛新覚羅社ページ) |
まとめ
今回は下関市綾羅木の中山神社についてご紹介しました。
小さいころ、毎年お正月の三社詣りで中山神社に参拝していましたが、幼かったあの頃はまったくご由緒もご利益もわからず、たくさんの人出と出店をただただ楽しんでいました。境内に愛新覚羅社があることも全く知らず・・・。
神社なのに「中山」神社って変な名前だな、と思ったりはしていましたが、こんなに由緒のある神社だったとは。あらためて、幕末と近代の歴史が詰まった中山神社について知ることができ、ほんとによかったです。
下関においでの際は、中山神社へ足を延ばしてみてくださいませ。