下松市鷲頭山(わしずやま)にある降松(くだまつ)神社は、市の名前そのまま「くだまつ」の名がついた神社です。
1400年以上もの長い間下松の地に鎮座し、人々を見守り、歴史を見守り続けてきました。
この記事では、降松神社のご由緒やご利益、境内(若宮)の様子や駐車場などをご紹介します。
降松神社・アクセスや駐車場
降松神社があるのは、下松市河内。
県道63号線(下松田布施線)沿いに降松神社の大きな看板と矢印が出ており、恋路交差点よりひとつ下松市内側の交差点から、鷲頭山側に入っていきます。
大きな看板が目印になるので、入り口はわかりやすいですよ。
県道を曲がって道なりに進んだら、一の鳥居が見えてきます。
一の鳥居の脇は御旅所だそうで、車が2~3台停められるくらいのスペースがあります。
こちらに神社駐車場の案内板が出ています。
鳥居をくぐって切戸川の橋を渡り、そのまま進んでお大師堂を左折して道なりに進むと、境内そばの駐車場に出るようです。
写真は石段下の駐車場。
こちらはハイキングされる方用の駐車場でもあるようです。
境内駐車場へはこの駐車場前の道路を進んで行きます。
道幅が狭いので、慣れない方は気をつけてくださいね。
TEL:0833-41-0544
駐車場:あり
アクセス:山陽自動車道徳山東ICからおよそ15分(6kⅿ)、JR下松駅からおよそ11分(3.2kⅿ)
公式サイト:いくっちゃ!くだまつ観光ガイド
どんな神社?
ご由緒
神社にあったご由緒書きによると、創建は推古天皇の時代(飛鳥時代)にまで遡るそうです。
推古天皇3年(595年)、都濃郡鷲頭の庄、青柳浦(現在の下松)の一松の樹に大きな星が降って7日7夜光り輝き、「今から3年たたずに百済の王子がやって来る。その守護のために天から降りてきたのだ」と天之御中主尊からのお告げがありました。
お告げのとおり百済の琳聖太子が来朝し、桂木山にご神霊を祀り、北辰妙見社を創建。
それ以来、青柳浦は降松と改められました。
この時来朝した琳聖太子は、のちに山口の守護となる大内氏の祖先といわれています。
その後、大内氏から信仰を受けて栄え、大内氏が滅んだ後も毛利氏の厚い保護を受けました。
明治3年、降松神社と改称されています。
ご利益、ご祭神は?
ご祭神は、お告げをもたらした天之御中主尊(あめのみなかぬしのかみ)です。
天之御中主尊は日本神話で、天地開闢(てんちかいびゃく)において最初に登場する神さま。すべての根源をなす神、天の世界を統べる最高神とされています。
厄除け、健康長寿、開運、殖産振興などとともに、安産のご利益もあるといわれ、地元をはじめ多くの人々から信仰を集めてきました。
境内のみどころ
若宮は、石段を登った小高い場所に鎮座しています。
下から見るとけっこうな石段に見えますが、一段一段の高さが低くしてあるので登りやすいですよ。
境内からは見下ろす風景も気持ちがいいです。
拝殿
壮麗な拝殿のわきには、たくさんの厄落としの絵馬がかけられていました。
厄除け開運の神として、多くの人々に信仰されていることがわかります。
拝殿の賽銭箱や拝殿内には、大内氏の家紋である大内菱が。
大内義弘公の頃には、大内氏がおさめていた7州に北辰妙見社を勧請(かんじょう:神仏のご分霊を他の地に移して祀ること)しており、鷲頭山は妙見本宮として厚い信仰を集めていたそうです。
臥牛の庭
拝殿の近くには「臥牛の庭」と名づけられた小さな庭があります。
立て札によると、江戸時代終わりごろ、この地の百姓が「しっかり牛が増えてどの百姓も牛が持てるように。牛が病気をしないように」と、牛への感謝と安らぎを求めて庭としたものだそうです。
置かれている石は、一群の牛たちを表現しているとのこと。
そう言われれば、のんびりとたむろしている牛に見えてきませんか?
まとめ
今回は下松市の降松神社(若宮)をご紹介しました。
下松の名前の由来になった神社ということで、いったいどんな神社ななんだろうとドキドキしながら足を運んだのですが、こんなにも歴史が古く、大内氏のご先祖伝説のある神社だとは思ってもみなくて・・・その歴史を知って、かなりびっくりしました。
初詣には地元の方々の多くが参拝されるとのこと。
氏神さまとして、下松のみなさんの心の拠り所となっているのですね。
若宮だけでもその歴史と由緒に気持ちがシャキッとしました。
機会があればぜひ、中宮、上宮も足を運んでみたいです。
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