数多くの恋愛や結婚、離婚を繰り返し、仕事では多額の負債を抱えるなど、波乱万丈の人生を送った作家、宇野千代。

酸いも甘いも、さまざまな経験を経てきたからこそ生み出せた、悩めるわたしたちの背中を押してくれる、前向きな言葉がたくさん残っています。

この記事では、宇野千代の名言のいくつかを、著書『幸福の法則一日一言』(海竜社)からご紹介します。

宇野千代の名言

幸福は幸福を呼ぶ。幸福は自分の心にも反射するが、また、多くの人々の心にも反射する。

私が一番嫌いなのは、そう対して不幸でもないのに、自分をよっぽど不幸だと思わないと安心出来ないような人である。

幸福のかけらは幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人がある。

愛とは純粋な善意の現れである。愛のあるところには人が集まる。

人間は、心の存在が凡てである。心が、体を動かす。健康を生む。心が幸福を生む。幸福を呼ぶ。

幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ。

芽は手当次第でどんどん伸びる。伸びない、などと夢にも思ってはならない。伸びる、伸びる、どんどん伸びる。

もっとも身近な人を幸せにすることは最も難しいことであり、それ故に最も価値あることである。

「私は生きている」という発想から「私は生かされている」という発想に転換するとき、周囲を取り巻く自然の不思議さ、有り難さに気がつくのである。

宇野千代の人生は

(宇野千代生家)

宇野千代は錦帯橋で有名な、山口県岩国に生まれました。
2歳の時生母が亡くなり、翌年、父は20歳年下の女性と再婚。
家は貧しく、幸福とはいえない生活を送っていました。

13歳で従兄と結婚させられますが、すぐに離婚。
初恋でつらい失恋を経験したのち、最初に結婚した従兄の弟と結婚します。

その後、作家・尾崎士郎と出会い、一緒になりますが、間もなく浮気されて離婚。

別れの悲しみの中で出会った画家・東郷青児に惹かれ、一緒に暮らし始めます。
しかし、今度は東郷が以前の恋人とよりを戻し、離別。

最後まで連れ添おうと10歳年下の作家・北原武夫と結婚しますが、会社は多額の負債を抱え、ふたりは借金返済に奔走。
借金完済とともに、愛人を作っていた北原から離婚を切りだされ、25年に渡った結婚生活を清算。
4度目の離婚を経験します。

どんな状況でも幸福のかけらを探し出す強さ

生まれも貧しく、結婚しても恋愛しても相手が浮気。
自身の会社は膨大な負債を抱えるなど、傍から見ると何とも波乱万丈、幸せとはいえない人生に見えます。

ところが当の千代は、人からどう見られるかは意に介しませんでした。

大波にさられるような出来事があっても、けして逆らわずに受け止め、ひとしきり泣いたらそこから力強く立ち上がり、次の行動を起こす。

彼女の根底には「不幸になるのも幸福になるのも、本人の望み次第で、私の好き勝手になれる」、すなわち、自分の幸福は自分で作ることができる、という信念があったのだと思われます。

どんな状況でも幸福のかけらを探し、行動に移していった宇野千代。
彼女の残した言葉は、やさしく、時に力強く、現代の悩めるわたしたちを励まし続けています。

まとめ

宇野千代の名言をご紹介しました。

ご紹介したほかにも、さまざまな自伝やエッセイに、多くの前向きな言葉が残されています。
言葉にふれるたびに自分を振り返ることができ、もう一度前を向けるきっかけを与えてもらえますよ。

『幸福の法則 一日一言』は、一年をとおして毎日、千代さんの言葉にふれられるようになっています。
千代さんの言葉にふれてみませんか?

宇野千代の幼少期や恋愛、結婚についてはこちらでご紹介しています。