下関市出身の方で、どんな有名な方がいらっしゃるか、ご存じでしょうか?
スポーツ、文化、芸能など、幅広い分野で活躍している方がたくさんいらっしゃるんですよ。

この記事では、下関出身の現在も活躍されている人物をご紹介します(敬称略、順不同で記載)。

スポーツ

道下美里(みちしたみさと・陸上選手)


女子フルマラソン、パラ陸上選手。

小学校4年生の時、目の病気にかかり、中学生で右目の視力を失い、左目の視力もわずか。

中距離ランナーからフルマラソンに転向し、2016年、リオデジャネイロパラリンピックで銀メダル獲得。
2020年、別府大分毎日マラソンで、自身が樹立した世界記録を2分以上縮める、2時間54分13秒の世界新記録をマーク。

2021年の東京パラリンピックでは、金メダルを獲得しました。

豊真将紀行(ほうましょうのりゆき・元力士)


錣山部屋の元大相撲力士。

下関市豊浦町出身。しこ名豊真将の「豊」は、合併で消滅した豊浦町から。

地元の中学卒業後、埼玉栄-日大と進むも故障のため1年で退部し大学も中退。
アルバイト先の社長の紹介で錣山部屋に入門。

入門当初は弱く、精細を欠いていたものの、基礎から稽古を積み重ねてスピード出世。2006年、十両に昇進しました。
2015年1月引退を発表し、年寄・立田川を襲名。最高位は東小結。

手刀、塵手水(ちりちょうず)など、丁寧な所作が特徴で、錣山親方も「礼で始まり、礼で終わる相撲道を体現できる数少ない力士」と称しました。

豊響隆太(とよひびきりゅうた・元力士)

小2の時に下関市豊浦町に移り、相撲をはじめ、下関市立響高等学校で活躍。

在学中、自身の言動によって境川部屋への入門が破談に。
卒業後、アルバイトなどを経て、あらためて自分から出向き、境川部屋へ入門しました。

2005年初土俵を踏み、2007年名古屋場所で初入幕。2021年引退し、年寄・山科を襲名。

豊真将は、豊浦町スポーツ少年団の時のチームメイト(豊真将が先輩)。

文化人

和田薫(わだかおる・作曲家)

豊浦高校を経て、東京音楽大学卒業。

クラシック、現代音楽の他、ゲームやアニメ、映画音楽を手がける。
1995年、映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』で第18回日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞しました。

>>和田薫オフィシャルサイト

田川ヒロアキ(たがわひろあき・シンガーソングライター)

(田川ヒロアキさんインスタグラム投稿より)

先天的な視覚障害があり、4歳の時手術を受けますが改善せず、13歳で視力を失う。
小さい頃から音楽に関心を持ち、13歳の頃、エレキギターを手にしてのめりこみ、独自の演奏スタイルを確立。
1993年、本格的な音楽活動を開始しました。

コンサート、イベント、などでの演奏を始め、TVやラジオ、 イメージソングの作曲を多数手がけています。
2021年の東京パラリンピック開会式に出演しました。

>>田川ヒロアキ公式HP

青池保子(あおいけやすこ・漫画家)

中一の時、同じ下関出身の漫画家・水野英子宅を訪問。
人柄に感銘を受け、水野先生に読んでほしくて漫画を描き始めたそうです。

1963年、15歳の時、『りぼん』お正月増刊号の短編『さよならナネット』でプロデビュー。
翌年から講談社の専属となる。
1976年からは、海外を舞台にした作品を発表。

代表作は『エロイカより愛をこめて』『アルカサル₋王城-』など。『アルカサル-王城-』で、第20回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。

>>青池保子公式サイトLAND HAUS

野々村彩乃(ののむらあやの・ソプラノ歌手)

(野々村彩乃 ソプラノ歌手インスタグラム投稿より)

広島音楽高等学校を経て、大阪音楽大学にて声楽を学ぶ。

高校3年の時、第82回選抜高校野球大会の開会式で、国家独唱。この時の様子が話題に。
このほか、多くのイベントで国家独唱を披露しています。

2016年、単身ニューヨークに渡り、カーネギーホール(ワイルリサイタルホール)、ニューヨークの日本クラブでリサイタルを開催し、好評を博します。
その他、各地でコンサートやリサイタルを開催。

テレビドラマの挿入歌やゲームの主題歌を担当するなど、幅広く活躍中です。

>>野々村彩乃公式YouTubeチャンネル

田中慎弥(たなかしんや・小説家)

20歳の頃から小説を書き始め、2005年、デビュー作『冷たい水の羊』が第37回新潮新人賞を受賞。

2007年、初めて芥川龍之介賞候補になり、その後も何回か候補になったものの、受賞に至らず。
2012年、「共喰い」で第146回(平成23年度下半期)芥川龍之介賞を受賞。受賞会見時の発言が話題になりました。

野村佐紀子(のむらさきこ・写真家)

下関南高校を経て、九州産業大学芸術学部写真学科卒業後、写真家・荒木経惟氏に師事。
国内外での写真展、写真集多数。
その作品は、男性のヌード写真が中心。

2022年には、下関市立美術館で野村佐紀子写真展「海」が開催されました。

(野村佐紀子さんインスタグラム投稿より)

>>野村佐紀子オフィシャルサイト


芸能人

田村淳(たむらあつし・芸人)

彦島中学校を経て、下関中央工業高校(現在は閉校)を卒業。
卒業後、高校の同級生とお笑い芸人を目指し上京するものの、同級生は地元に帰ってしまいます。
今の相方、亮さんに出会ってコンビを組んでデビュー。

現在は司会者、作家、ラジオパーソナリティ、YouTuber、会社経営など、活動は多岐に及んでいます。

宮本和知(みやもとかずとも・元プロ野球選手)

中学から野球をはじめ、下関工業高校では投手として活躍。
卒業後、社会人として都市対抗野球に出場。
1984年、ロサンゼルスオリンピックの野球日本代表に選出され、金メダル獲得に貢献しました。

同年、読売ジャイアンツから指名を受け、ドラフト3位で入団。
1997年、現役引退後は、タレントやコメンテーターとして活躍。

2019年から2021年まで、21年ぶりに現場復帰して、読売ジャイアンツの投手総合コーチを務めました。
2022年からは球団社長付アドバイザーに就任。

山下真司(やましたしんじ・俳優、タレント)

下関商業高校卒業後、中央大学に入学し中退。

1979年、テレビドラマ『太陽にほえろ!』のスニーカー刑事役に抜擢。
その後、『スクール☆ウォーズ』に熱血教師役で主演。最高視聴率20%を超える大ヒットを記録。

また、料理紀行番組『くいしん坊!万才』では9代目くいしんぼうとして活躍しました。

最近では、テレビ番組で激辛料理に挑戦する姿が人気ですね。

波田陽区(はたようく・芸人)

豊浦高校を卒業後、熊本学園大学商学部へ進学。
大学を卒業して、芸人としてデビュー。
2004年、「残念!」「切腹!」が決め台詞の「ギター侍」として大ブレイクしました。

現在は東京から福岡市に移り住み、九州山口のテレビやラジオ番組などで冠番組を持ち活躍中です。

まとめ

下関市出身で、今も活躍されている有名人をご紹介しました。

今回調べてみて、こんなにもさまざまな分野で活躍されている方がいたなんて、と驚きを隠せませんでした。
もっとたくさんの方をご紹介したかったのですが…。

下関出身の歴史上の人物・先人たちは、こちらの記事でまとめています。↓