数多くの恋愛や結婚、離婚を繰り返し、仕事では多額の負債を抱えるなど、波乱万丈の人生を送った作家、宇野千代。
酸いも甘いも、さまざまな経験を経てきたからこそ生み出せた、悩めるわたしたちの背中を押してくれる、前向きな言葉がたくさん残っています。
この記事では、宇野千代の名言のいくつかを、著書『幸福の法則一日一言』(海竜社)からご紹介します。
宇野千代の名言
宇野千代の人生は
宇野千代は錦帯橋で有名な、山口県岩国に生まれました。
2歳の時生母が亡くなり、翌年、父は20歳年下の女性と再婚。
家は貧しく、幸福とはいえない生活を送っていました。
13歳で従兄と結婚させられますが、すぐに離婚。
初恋でつらい失恋を経験したのち、最初に結婚した従兄の弟と結婚します。
その後、作家・尾崎士郎と出会い、一緒になりますが、間もなく浮気されて離婚。
別れの悲しみの中で出会った画家・東郷青児に惹かれ、一緒に暮らし始めます。
しかし、今度は東郷が以前の恋人とよりを戻し、離別。
最後まで連れ添おうと10歳年下の作家・北原武夫と結婚しますが、会社は多額の負債を抱え、ふたりは借金返済に奔走。
借金完済とともに、愛人を作っていた北原から離婚を切りだされ、25年に渡った結婚生活を清算。
4度目の離婚を経験します。
どんな状況でも幸福のかけらを探し出す強さ
生まれも貧しく、結婚しても恋愛しても相手が浮気。
自身の会社は膨大な負債を抱えるなど、傍から見ると何とも波乱万丈、幸せとはいえない人生に見えます。
ところが当の千代は、人からどう見られるかは意に介しませんでした。
大波にさられるような出来事があっても、けして逆らわずに受け止め、ひとしきり泣いたらそこから力強く立ち上がり、次の行動を起こす。
彼女の根底には「不幸になるのも幸福になるのも、本人の望み次第で、私の好き勝手になれる」、すなわち、自分の幸福は自分で作ることができる、という信念があったのだと思われます。
どんな状況でも幸福のかけらを探し、行動に移していった宇野千代。
彼女の残した言葉は、やさしく、時に力強く、現代の悩めるわたしたちを励まし続けています。
まとめ
宇野千代の名言をご紹介しました。
ご紹介したほかにも、さまざまな自伝やエッセイに、多くの前向きな言葉が残されています。
言葉にふれるたびに自分を振り返ることができ、もう一度前を向けるきっかけを与えてもらえますよ。
『幸福の法則 一日一言』は、一年をとおして毎日、千代さんの言葉にふれられるようになっています。
千代さんの言葉にふれてみませんか?
宇野千代の幼少期や恋愛、結婚についてはこちらでご紹介しています。
錦帯橋の美しい岩国で生まれ育った作家、宇野千代。 若い頃から有名な文士や画家と数多くの恋愛、結婚を経験。 その経験を自身の作品に昇華させ、「おはん」「色ざんげ」など、後世にも読み継がれる名作を生み出しました。 また作家と …