「みんなちがって、みんないい。」山口県出身の童謡詩人・金子みすゞの『わたしと小鳥と鈴と』のなかの一節です。

この言葉は、誰もがどこかで耳にし、心温まるものを感じたことがあるのではないでしょうか。自分を否定してしまった時、心が寂しくなった時に、いいんだよと自分を肯定してくれる…そんな言葉。金子みすゞは生前多くの詩を書き、現代のみなさんの心に生き続けています

山口県の豊かな自然に育まれ、小さなものにも温かな目を注ぎ、優しい童謡を残した金子みすゞ。今回は金子みすゞの詩、生い立ち、ゆかりの地などについて、心を込めてご紹介します。

金子みすゞの詩

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

東北大震災後に流れていた、印象に残るテレビCMがありました。そのCMの中で歌手のUAさんが朗読していたのが、この詩です。「こだまでしょうか、いいえ、誰でも。」の部分は、耳にした覚えのある方も多いのではないかな、と思います。

現代に生きる私たちの心にそっと寄り添ってくれるこの「こだまでしょうか」という詩は、童謡詩人・金子みすゞが書いた詩です。

明治後期に生まれ、大正、昭和初期に生きたみすゞさんの詩は、まるで今の時代に生きているかのようにわたしたちの心に響いてくる言葉。

CMをとおしてその詩は多くの人の心を揺さぶり、「こだま」が収められた金子みすゞ童謡集『わたしと小鳥とすずと』は売り切れになるほどだったそうです。

ブームが治まった今でも、みすゞの詩は現代を生きる多くの人の心をはげまし支え、また代表作「わたしと小鳥とすずと」が小学校の教科書にも取り上げられています。子どもさんの教科書を読んで金子みすゞの詩を知り、ファンになった方も多いようですよ^^

先日長門市にある「金子みすゞ記念館」に行ったら、親子連れの方が来られていて(わたしも娘と訪問したんですけどね)、お母さんの方がものすごく熱心に記念館の方に質問をされていました(^^)。年配の方も20代の若い女性もおられ、みすゞさんが幅広い世代の方に愛されていることを感じました。

金子みすゞの生い立ち、生涯

金子みすゞさんが童謡詩人ということは知っていても、いつの時代にどんな人生を生きたのか、ご存じない方も多いかと思います。じつは、わたしもそうでした・・・(;^_^A。

その温かなまなざしを感じる詩からは、こんな悲しみの多い人生を歩んだ方だとは想像もしていませんでした。

金子みすゞさんが活躍したのは大正時代から昭和初期です。

金子みすゞ(本名テル)は明治36年に現在の山口県長門市仙崎に生まれました。父はみすゞさんがわずか3歳の時に命を落とします。そしてそのすぐ後、2歳年下の弟も母の妹の嫁ぎ先である上山家へ養子としてもらわれて行き、幼いころに2つの大きな別れを経験しています。

その後、母の妹が病死し、母が上山家に後妻として嫁ぐことになり、またもや家族と別れることに。そして母の再婚により実の弟との交流が始まります。弟の影響もあり大正12年頃(20歳の頃)から詩を書きはじめ、その詩は西条八十に認められ「若き童謡詩人の巨星」と賞賛されます

大正15年に結婚し娘をもうけますが、夫は放蕩がひどく、またみすゞさんの詩作に理解がありませんでした。詩を作ること、文芸仲間とのかかわりを禁じたのです。さらには夫から遊郭での病気を移され、心身ともに疲れ果てます。そのため離縁をするのですが、娘の親権を夫がとることになり、それに対する抵抗心から26歳の若さで服毒自殺したといわれています。

みすゞさんの生涯について、もっと詳しくはこちらをどうぞ

みすゞの詩・忘却と再発見

みすゞさんは生前、自作の詩を3冊の手帳に清書し、それを弟と敬愛していた詩人・西条八十に託します。しかし彼女の死後それらの手帳や詩は散逸し、みすゞさんは幻の童謡詩人と語り継がれるようになりました

それからおよそ50年。長い間埋もれていた金子みすゞの作品は、童謡詩人・矢崎節夫氏によってふたたび世に出され、多くの人の心をつかむようになりました。

矢崎氏は『日本童謡集』の中に収められていたみすゞさんの詩「大漁」と出会い衝撃を受け、それから弟・正祐さんの協力もあって遺稿集である3冊の手帳を発掘し、1984年に出版。またたく間に時を超えて人々の心をつかみ、有名になりました。

今、みすゞさんの詩に出会えるのは、ふたたびこの世にみすゞさんの詩を送り出してくれた矢崎節夫さんの努力のおかげでもあるのですね。矢崎氏は現在、みすゞさんの生まれ故郷である山口県長門市仙崎にある「金子みすゞ記念館」の館長をされています。

みすゞを育んだ仙崎、詩人・金子みすゞを生み出した下関

「お魚」「大漁」にみられる、みすゞさんがまなざしを向けた自然・海は、生まれ育った仙崎の海でした。

長門市は絶景で知られる元乃隅神社や青海島、竜宮の潮吹きなど、今でも日本海沿いに名勝が続く景色の美しいところです。そして、漁業を生業とする方の多かった土地です。海からもたらせる恵とその命、周りに広がる豊かな山々。それらはみすずさんの豊かな感性を育んだのでしょう(仙崎のみすゞ通りについてはこちら)。

優しいみすゞさんの詩と、日本海を望む長門市の景色・・・。わたしも年に何回か足を運ぶ大好きな場所ですが、みすゞさんはどんな思いを持って日々を過ごし、この癒しの詩を書いたのだろう・・・時々、長門の景色を眺めながら思いを馳せます。仙崎にはみすゞ通りが整備され、あちらこちらにみすゞさんの詩を見ることができます。

そして、詩人として羽ばたくことを後押しした海洋都市・下関。当時は大変栄えて活気にあふれていた下関の地は、仙崎から出てきたみすゞさんに刺激を与え、詩人として羽ばたく大きな後押しをしました

この世を去るまで6年間暮らした下関。こちらにもみすゞさんの足跡が残されており、散策ルート(詩の小径)が整備されています。

まとめ

今回は、金子みすゞさんについて、詩や生い立ち、山口県のゆかりの地を紹介しました。

わたしはみすゞさんの詩はいくつかは知っていましたが、その生涯やゆかりの地のことなど、山口県民でありながら何も知らずに育ってきました。妹の持っている本がきっかけでみすゞさんのことを知るようになり、その温かい詩の世界に引き込まれていきました。背中を押してくれたり、寄り添ってくれたり、ほほえみをくれるみすゞさんの詩。たくさんの方に、みすゞさんの詩や生涯を知ってほしい・・・そう思います。

ぜひみすずさんの詩に触れて、彼女が育った仙崎、詩人みすゞを生んだ下関でみすゞさんを感じていただきたいです。