こんにちは、防府市の主婦なんたんです^^
先日、萩の夏みかんまつりで夏みかんの収穫体験をしてきました。
夏みかんの花の良い香りが5月のさわやかな風に乗って辺り一面漂って…ん?花が咲いているのに実がなっているのはどうして?
と、疑問がむくむくと。
萩は夏みかんが有名とは知っていましたが、夏みかんの収穫できる時期や萩と夏みかんの歴史について、何も知らなかったことに気づき愕然としたわたし・・・。
そこで今回は、萩の夏みかんの時期、歴史、夏みかんを使ったお土産について調べてみました。夏みかんまつりについてもご紹介します。
萩の夏みかんの時期
萩では夏みかんを植えているお宅も多く、初夏に萩城下町を散策すると夏みかんの花の甘い香りが漂ってきます。
他の柑橘のように、秋には実が黄色く色づくのですが、その時期は酸っぱくて食べられたものではないんだそう。
そのまま樹上で冬を越し、初夏を迎えた5月頃が食べごろになることから、名前に「夏」がついたと言われています。
今は越冬みかんがよく見られますが、夏みかんが元祖越冬みかんということでしょうか。
小さな夏みかんの花がかわいらしく咲き誇る中、大きくて黄色い実がしっかりとついているのが不思議ですね。
萩と夏みかんの歴史
今からおよそ300年前、萩市のおとなり長門市青海島の大日比(おおひび)の海岸に、果実の種が流れ着きました。
その種を植えて育てたのが始まりと言われています。
萩では1838年に児玉惣兵衛という人物が、知り合いからもらった苗を植えたところ、実がなりました。
当初は食べごろがわからず、ゆずの代わりや観賞用にしていたそうです。
偶然惣兵衛が食べなかったら、今の夏みかんはなかったかも?
いや、誰か食べてみたでしょうね。
それからは夏が食べ頃ということがわかり、夏ダイダイ(代々)と呼ばれて武士の家にも植えられるようになりました
夏みかんが萩の名産になったのは明治に入ってからです。
明治維新によって政治は大きく変わり、武士は失職。
萩城下の元武士たちは、生活に困窮してしまいます。
そこで小幡高政が、夏みかんを栽培して売ることで武士の生活を救おうと考えました。
小幡高政は政府の要職を歴任した人物。
明治11年に元武士たちに苗木を配布し、明治22年には萩の特産物になって大阪や東京にも出荷されるほどに。
明治30年代終わりごろには、萩の一大産業に成長したそうです。
ちなみに夏みかんと呼ぶようになったのは、大阪の商人にすすめられたからだそうです。
それにしても、一粒の種が広い日本海を漂って流れ着き、それが萩の元武士たちを救う名産品になるなんて。
とても不思議。奇跡のような実話ですね
(萩 夏みかんセンターHPとHP内の「萩夏みかん物語」を参考にしました)
夏みかんまつりも開催
萩ではちょうど夏みかんの花が咲き、収穫の時期である5月中旬の土日に、夏みかんまつりが開催されます。
会場は「かんきつ公園」。
夏みかんを萩の一大産業にした小幡高政の屋敷で、総理大臣を務めた田中義一の別邸だった場所です。
夏みかんの木がおよそ100本、そのほかにも甘夏などの柑橘が植えられてあり、夏みかんの花の甘い香りが漂う中、夏みかんの収穫体験や夏みかん製品の販売、クイズラリーなどが開催されます。
「萩・夏みかんまつり」について、こちらでご紹介しています。
⇒【萩・夏みかんまつり2024】かんきつ公園で開催・夏みかんづくしのイベント!
夏みかんを使ったお土産品
夏みかんを使った加工品は羊羹からキャンディ、ジュースなど、たくさんの種類があります。
夏みかんの丸漬け
中でも有名なのが、夏みかんの丸漬け。
夏みかんをくりぬいて、中に羊羹を詰めた一品です。
萩ではいくつかの店舗が丸漬けを作っているので、それぞれに特徴のある味を楽しめます。
数年前のケンミンショーでも、光圀本店の夏みかん丸漬けが紹介されて話題になりました!
夏みかんのあおぎり
熟す前の青い夏みかんの皮をスライスして作った砂糖漬け
熟した黄色い皮を使った干菓子もあります。
あおぎりの方がちょっと苦みがあってさわやかです。
■萩の名菓・夏みかんの丸漬けについて、こちらでご紹介しています。
⇒夏みかん丸漬け【萩の名菓】作り方や食べ方は?販売店はどこ?ほのかな苦みと甘さが絶品
まとめ
萩の夏みかんについてご紹介しました。
今回は萩の夏みかんについて調べてみて、知らないことの多さにびっくりでした。
萩発祥の夏みかん、ぜひたくさんの人に知っていただきたいですね。