長州藩の御茶屋として、県内にただ一つ残っている防府市の「英雲荘(えいうんそう)」

2011年から10年かけて行われていた庭園の修復が終わり、現在は多くの観光客が歴史ある建物と庭園を見に訪れています。

つぶた
つぶた
だけど、地元防府の人でも英雲荘に行ったことがないという人がたくさんいるよね

そういえばわたしも行ったことがない・・・。
そこで今回は、英雲荘に足を運んできました!
なんたん
なんたん
とてもすばらしい建物や庭園で、思わずテンションがあがってしまいました^^

そこで今回は、英雲荘の場所や歴史、建物の見どころや価値などについてご紹介します。

英雲荘 場所や施設詳細

英雲荘があるのは防府市お茶屋町。

JR防府駅から車で5分、徒歩で20分ぐらいの場所にあります。
山陽自動車道防府西IC、防府西ICからはおよそ15分。
県道184号線(三田尻徳地線)沿いにあり、近くにある三田尻病院と看板が目印です。

看板どおりに県道184号線を曲がると、駐車場の矢印が出ています。

坂を上ると広い駐車場に出ます。
駐車場の隅に新しくトイレも設置されるようでした。

所在地:防府市お茶屋町10-21
電話:0835-23-7276
開館時間:9時半~16時半
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
観覧料:大人310円(250円)、小中学生150円(120円)
※( )内は20名以上の団体料金
公式サイト:防府市観光情報ポータルたびたびほうふ

英雲荘とは?

(玄関棟、英雲荘入口)

英雲荘は1654年(承応3年)、萩藩2代目毛利綱広(つなひろ)によって建設された藩の公館です。
藩主の参勤交代や領地を視察する際の休憩などに使われ、三田尻御茶屋と呼ばれていました。

三田尻は江戸時代の海の玄関口。
萩城から続く参勤交代の街道・萩往還(はぎおうかん)の終点で、萩往還と山陽道が交わる交通の要衝でもありました。

そのため三田尻御茶屋は、藩内の街道沿いにつくられた御茶屋の中で、もっとも重要なものであったといえます。

防府で大規模な干拓を行うなど、防府にゆかりの深かった7代目藩主重就(しげたか)は、御茶屋を改築し、隠居後の1783年(天明3年)、萩から三田尻御茶屋に移り住みました。
この時期、御茶屋は「三田尻御殿」と呼ばれ、最大の規模になりましたが、重就の死後は建物が解体され規模が縮小されています。

なんたん
なんたん
のちに、重就の法名から「英雲荘」と名づけられました

幕末には、政変で京都を追われた三条実美ら7人の公卿がおよそ2か月間滞在し、その間、志士たちが出入りする歴史の舞台となりました。

その後、1996年(平成8年)から2011年(平成23年)まで、15年もの年月をかけて建物の保存修理工事が行われ、現在の姿に蘇りました。

英雲荘は1989年(平成元年)、萩往還の関連遺跡として国の史跡に指定されています。

なんたん
なんたん
現在に至るまで、取り壊しの計画が発表されたこともありましたが、地元の方々の嘆願によって存続されたそうです!
つぶた
つぶた
歴史的な価値のある建物が取り壊されなくてよかったよ。
地元のみなさんのおかげだね
そして今年、庭園の修復が完了しました。

英雲荘の見どころ

英雲荘では、受付の方が無料で丁寧に建物の中を解説してくださいます。
解説をしていただいたおかげで、建具や建物の歴史的な価値を感じることができました。

なんたん
なんたん
きっと解説を聞かなかったら、「わーすごいねー」で終わっていました・・・

ここでは、おもな建物と見どころをご紹介します。

大観楼棟

英雲荘の主体になる建物は、7代藩主重就が建築した大観楼棟。
二階建て、檜皮葺の屋根(ひだわぶきのやね:檜の樹皮を用いた屋根)が目印です。

大観楼棟は建物の中で、もっとも重要な役割を持つ部分。
幕末、京都を追われた公卿たちもここに滞在しました。

上座に藩主が座られ、来客を出迎えていたそうです。

御書院一ノ間、二ノ間、三ノ間、詰所などがすべての間つながっており、とにかくその広さにびっくり。
当時の毛利家の権力を感じます。

幕末に公卿たちを迎えた御書院の間ですが、なんと、第2次世界大戦後は進駐軍がダンスホールにするため大改築!
畳を取り払ってじゅうたんを敷き、一部の柱も取り外したそうです。

つぶた
つぶた
畳の部屋がダンスホールに!? 英雲荘は歴史に翻弄されてきたんだね

時代の変遷を経て今もなお、英雲荘には創建時の建具がいくつも残されています。

廊下の杉戸もそのひとつ。
創建当時のものといわれており、江戸中期の書家・三井和による篆刻が彫られています。

大観楼棟は2階に上がることもでき、2階からは庭園を見渡せ、檜皮葺の屋根も間近に見ることができますよ。

奥座敷棟

大観楼棟の先にある奥座敷棟は、明治31年(1898年)に建てられました。

明治に入り、毛利家の三田尻別邸として使われていた三田尻御茶屋でしたが、山口での本邸とされたことにより、当主やその家族が生活する場として整備されたものです。

襖や引手などに、ほかの部屋にはない華やかさが見られます。

なんたん
なんたん
奥座敷棟の襖は、建物の中でもっとも高価なものなのだそうですよ!
つぶた
つぶた
襖の引手は、ひとつひとつ、蝶の蒔絵が描かれているよ!とってもきれいだね

茶室・花月棟の菊炭

離れにある茶室・花月楼の庭園には、茶席の高級品として利用される菊炭を敷き詰めた場所があります。

菊炭はクヌギの木を窯で焼いた黒い炭。焼いた断面が花びらのように美しいのが特徴。
雨のしずくが落ちて地面に穴が開くのを防ぐために敷いたそうですよ。

ぜひ見つけてみてくださいね。

まとめ

防府市御茶屋町の英雲荘をご紹介しました。

江戸時代に萩往還の御茶屋として多くの藩主たちが宿泊し、志士たちが出入りした英雲荘。
その後も紆余曲折を経ており、歴史の生き証人ともいえる貴重な建物であることを感じました。

今、私たちの前に美しい姿をみせてくれているのも、地元の方々の支えがあってのこと。
ぜひ多くの人に、その歴史や価値を知ってもらえたらなと感じました。
防府の方も、市内外の方も、どうぞ英雲荘に足を運んでくださいませ。

また英雲荘では鑑賞のほか、イベントや文化行事での施設の使用貸し出しも行っています。
詳細は防府市公式ホームページをご覧ください。
>>防府市公式ホームページ 三田尻御茶屋(英雲荘)の利用案内