幕末から明治初期にかけて活躍した、大村益次郎をご存じでしょうか。
村医者から蘭学を学んで兵学者になり、明治新政府では軍事の専門家として近代日本軍制の創始者となった、異色の経歴を持つ人物です。
近代日本に大きな功績を残した大村益次郎。
靖国神社には、益次郎の大きな銅像が建っています。
なのですが…。
出身地の山口市鋳銭司(すぜんじ)に益次郎を祀っている神社があることは、あまり知られていないかもしれません。
そこでこの記事では、山口市鋳銭司の大村神社を知ってもらいたく、神社の場所や由緒、境内の様子や、神社近くの墓所、郷土資料館をご紹介しますね。
大村益次郎が何をした人か、その生涯についてはこちらの記事をどうぞ。
1977年の大河ドラマ『花神』に取り上げられ、靖国神社に銅像があることでも知られる大村益次郎。 幕末から明治にかけて、医師、蘭学者、軍師として活躍した、長州藩出身の人物です。 そこでこの記事では、大村益次郎が何をした人な …
大村神社・場所やアクセスは?
大村神社は長沢池の北側にあります。
国道2号線に、大村神社の標識と矢印が出ていますので、標識に従って信号から長沢池方面に入ります。
左手の吉南病院を過ぎたあたりで、右に曲がって集会所を過ぎると大村神社です。
駐車場:周辺にスペースあり(鋳銭司郷土資料館駐車場もあり)
御朱印:あり(となりの鋳銭司郷土資料館にて)
アクセス:
山陽自動車道山口南ICから車で3分(1.5㎞)
山陽本線JR四辻駅から徒歩25分程度(1.9㎞)
大村神社の歴史は
益次郎は明治2年、大阪で亡くなりました。
亡骸は船で郷里に運ばれ、この北側にある墓所に埋葬されたのです。
ところが明治天皇の名代として、岩倉具視や木戸孝允ら明治政府の高官が、益次郎の墓所にお参りし遺徳を偲んでいくではありませんか。
その様子を見た鋳銭司村の人々は、明治5年、益次郎をご祭神とする神社を創建しました。
伊藤博文や三条実美ら74名にも及ぶ関係者の協力により、明治11年には神道碑を建設。
明治24年、鳥居が建てられ、ようやく郷土の偉人を祀るにふさわしい神社になりました。
昭和16年、改築の話が持ち上がり、日本全国から寄付金が集められ、昭和21年に現在の地に再建。
長沢池のすぐそばの、とても見晴らしの良い場所に鎮座しています。
※旧大村神社社殿説明板を参照しました。
境内の様子は?
大村神社はこぢんまりして、あまり目立たない神社です。
拝殿の中には、益次郎の肖像画や、ゆかりの地の写真が飾られていました。
境内には、『花神』(かしん)の碑があります。
1977年、『花神』をはじめとする司馬遼太郎の小説を原作とし、大村益次郎を主人公に、NHKの大河ドラマ『花神』が放送されました。
小説『花神』の一部を抜粋し、碑に刻んでいます。
そのなかでも一等の地は生まれ故郷の鋳銭司村だ、と述べているところだよ
小説の中の言葉ではありますが、今こうして、素晴らしい景観の場所に神社が建てられ、益次郎も喜んでいることでしょうね!
大村益次郎を偲べる周辺のスポット
大村益次郎墓所
神社から少し北側に離れた場所には、益次郎のお墓があります。
駐車場がありますが、たどり着くまでの道が狭いので、心配な方は神社から徒歩で行った方が安心かもしれません。
鋳銭司郷土資料館
大村神社のすぐとなりには、鋳銭司郷土資料館があります。
こちらの資料館では、大村益次郎の資料を常設展示。
パネルや映像、模型などを使ってあり、初めて益次郎の生涯に触れる方にも、とてもわかりやすい展示になっていますよ。
また、神社の御朱印はこちらの受付でいただけるそうです!
口コミによると、入館料のみで御初穂料はいらないとのこと。
なんて親切なんでしょう…。
大村神社を訪れたら、資料館で益次郎の生涯を辿っていってほしいですね。
休館日:月曜日(祝日の場合は火曜日以降の平日)、年末年始
入館料:110円 (18歳以下の方、70歳以上の方、障がいのある方及びその付添人は無料)
まとめ
山口市にある大村神社と、周辺にある墓所と鋳銭司郷土資料館をご紹介しました。
長沢池のほとりに位置するので、近隣の市町に住んでいらっしゃる方はきっと、近くを車で通っていらっしゃるのではないでしょうか。
お時間あるときにちょっと立ち寄って、山口市鋳銭司が生んだ幕末明治維新の功労者、大村益次郎の人柄や功績に触れてみてほしいと思います。
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