錦帯橋で有名な岩国は、さまざまな分野において、たくさんの有名な人物を輩出してきました。
そして現在も、多くの方々が多方面で活躍しています!
この記事では、岩国市にゆかりのある有名な人物、現在活躍している方々をご紹介します。
歴史上の先人(敬称略・順不同)
赤禰 武人(あかねたけと・幕末の志士)
赤禰武人は幕末の志士。
高杉晋作と志を同じくしながらも、非業の死を遂げた人物です。
1838年(天保9年)、柱島(現岩国)の医者の家に誕生。
短期間ですが吉田松陰の松下村塾で学んだ後、高杉晋作の奇兵隊に入隊し、総督になります。
藩内が俗論派(保守派)と正義派(尊攘派)の2つに分裂。
話し合いによる藩内統一を目指す武人は、武力による藩内統一を図ろうとする高杉晋作と対立。
晋作による功山寺挙兵が成功したことから、武人は裏切り者呼ばわりされてしまいます。
その後、幕府の長州征討回避のために各地へ説得に動きますが、言葉を聞き入れてもらえず。
最後は捕らえられ、ひと言の弁解も許されずに処刑されました。
現在、彼の復権を求める声が高まっており、山口市旭通りには顕彰碑が建てられています。
藤岡 市助(ふじおかいちすけ・電気学者)
1857年(安政4年)岩国市錦見に誕生。
明治・大正年間に活躍した電気学者で、「日本のエジソン」と評された人物です。
工部大学(現在の東京大学工学部)に入学し、アーク燈の日本での初点燈に成功。
日本初のアーク燈用発電機製造などを手掛けました。
その後、日本初の電車を設計。明治23年の東京博覧会で、2台の電車を運行させます。
また、国内初の電動式エレベーターの設計・取付けに成功しました。
のちに、三吉正一と白熱舎(現東芝)を設立。
中国地方初の電気鉄道、岩国電気軌道株式会社を設立し、地元にも貢献しました。
魁傑 将晃(かいけつまさてる・力士)
【前人未踏の 復活劇!
成し遂げたのはただ1人!】昭和40年後半から活躍した #魁傑!
大関から平幕へ陥落するも
再び大関に返り咲きました!その復帰を決定づけた
取組をぜひ!↓https://t.co/Wtf5riyQxO“異例”の2度目伝達式の
貴重な映像はこちら↓https://t.co/Ow3pnHYzCV pic.twitter.com/E5zr3W12SG— nhksumo (@NhkSumo) March 23, 2021
魁傑は元大相撲力士で、山口県初の大関。
1948年(昭和23年)、岩国市で生まれ、小学校3年から下関で育ちました。
高校、大学と柔道に励み、将来のオリンピック候補といわれていたところを、大相撲関係者にスカウトされ、1971年(昭和46)九月場所で初入幕。
1974年(昭和49)年に初優勝を遂げ、山口県初の大関となります。
その後、大関から陥落したものの、ふたたび大関に返り咲き。再度大関から陥落しますが、多くの名勝負を繰り広げ人気を集めました。
また、初土俵以来連続出場を続け、1979年(昭和54)年に引退。負け越しても「力士は土俵あってこその命。休場は試合放棄と同じ」との名言を残しました。
田島直人(たじまなおと・陸上選手)
三段跳びで世界新記録を樹立した、昭和のオリンピック選手。
1912年(大正元年)大阪で生まれ、4歳の時に岩国へ。
旧制山口高等学校(現山口大学)在学中の1932(昭和7)年、ロサンゼルスオリンピックに初出場し、走り幅跳びで6位に入賞します。
1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックでは、走り幅跳びで銅メダル、三段跳びで世界新記録(16ⅿ)を樹立して金メダルを獲得。
この記録は15年間破られることのない、大記録でした。
その後、日本オリンピックチームのコーチや日本陸上連盟の理事などを歴任。
1990年(平成2年)、岩国市名誉市民となった年に満78歳で亡くなりました。
その偉業を記念して、2004年(平成16年)から「田島直人記念陸上競技大会」が開催されています。
宇野千代(うのちよ・作家)
宇野千代は、4度の結婚と離婚を経験しながらも、力強く生きた女流作家。実業家、雑誌編集者。
1897年(明治30年)、現在の岩国市川西村に誕生。
応募した懸賞小説が一等に当選したことをきっかけに、作家として活躍。
数々の作品を発表し、代表作『おはん』で野間文芸賞、女流文学者賞を受賞。
1936年(昭和11年)には、ファッション雑誌『スタイル』を創刊し、着物のデザインなども行いました。
また、結婚と離婚を繰り返したことから、恋多き女性としても有名。
後年は自伝や多くのエッセイを残し、その生き方はたくさんの人々に感銘を与えました。
宇野千代さんの若い頃、その生き方はこちらでご紹介しています。
錦帯橋の美しい岩国で生まれ育った作家、宇野千代。 若い頃から有名な文士や画家と数多くの恋愛、結婚を経験。 その経験を自身の作品に昇華させ、「おはん」「色ざんげ」など、後世にも読み継がれる名作を生み出しました。 また作家と …
末川博(すえかわひろし・法学者)
大正・昭和の法学者、立命館大学総長。
1892年(明治25年)、玖珂郡玖珂町(現岩国市)に誕生。
京都帝国大学教授法科大学卒業後、同大教授に就任、1931年(昭和6年)、法学博士。
1933年(昭和8年)、京都帝国大学で起きた思想弾圧に対し、「日本の学問の自由と大学自治に加えられた弾圧」と考え、末川教授を中心とした法学部教授会は文部省と対立(滝川事件)。ほかの教授らとともに辞職し、大阪商科大学教授に。
第2次世界大戦後は立命館大学総長に就任し、1969年(昭和44年)の退任まで、大学改革に取り組みました。
一方で、民法学の分野でも数々の業績をあげ、日本の民法学をリード。
「権利侵害論」に関する功績が大きく評価されています。
現在活躍している人物(敬称略・順不同)
広中平祐(ひろなかへいすけ・数学者)
日本の数学者で、ハーバード大学名誉教授。
日本人で二人目のフィールズ賞受賞者。
1931年(昭和6年)、玖珂郡由宇町(現岩国市)生まれ。
旧制柳井中学校から京都大学理学部に進学。大学院卒業後、ハーバード大学へ留学。
ブランダイス大学準教授、コロンビア大学教授を経て、1968年(昭和43年)にはハーバード大学教授に就任。
この間、代数多様体の特異点解消についての研究に没頭。
この研究が認められ、1970年(昭和45年)フィールズ賞を受賞しました。
1975年(昭和50年)、文化勲章を受章しています。
藤重政孝(ふじしげまさたか・歌手)
(藤重正孝インスタグラムより)
1975年(昭和50年)、岩国市生まれ。高森高校卒業。
歌手、俳優として活躍しています。
弘兼憲史(ひろかねけんし・漫画家)
『課長島耕作』で有名な漫画家。
1947年(昭和22年)岩国市生まれ。
小学生の頃、手塚治虫先生に憧れ、漫画家を目指す。
早稲田大学在学中も漫研に所属していました。
大学卒業後は松下電器産業に入社し、3年間勤務。
その後退職し、漫画家としてデビュー。多くの作品を発表しています。
代表作は連載期間30年を超える『課長島耕作』をはじめ、『黄昏流星群』『人間交差点』『ハロー張りネズミ』など。
2018年(平成30年)、岩国を襲った豪雨災害の際、蔵の浸水などから主力商品『獺祭』の製造を停止した、旭酒造の復興商品に協力しました。
岡本信人(おかもとのぶと・俳優)
1948年(昭和23年)、岩国市生まれ。
引っ越しが多かったようで、小学生までは萩で、そのほか神奈川、東京などにも住んでいたそう。
中2の時に『劇団ひまわり』に入団。
高校卒業と同時に退団。
その後は、名脇役として多くの作品に出演。また、石井ふく子プロデュース作品の常連として活躍。
代表作は『肝っ玉かあさん』『渡る世間は鬼ばかり』『ありがとう』など多数。
最近は、野草を食べることでも話題になりました。
石田ニコル(モデル・女優)
(石田ニコルインスタグラム投稿より)
1990年(平成2年)、長崎市佐世保に生まれ、岩国で育つ。
岩国高校卒業後、進学のため上京。
医療系の大学在学中、モデルのオーディションでグランプリを受賞し、モデルの道へ。
女優としても活躍中です。
難波圭一(なんばけいいち・声優)
1957年(昭和32年)、島根県江津市で生まれ、4歳の時に岩国市に転居。
上京し、舞台俳優として活動しながら、1984年(昭和59年)、映画『超人ロック』で声優デビュー。
声優として幅広い活動をこなし、2000年代以降はナレーションを中心に活躍。
現在は俳優としての活動も増え、テレビドラマで見ることも多くなっています。
まとめ
岩国市にゆかりのある先人や、今活躍している有名な方をご紹介しました。
日本の歴史に大きな影響を与えた先人も多く、また、今現在活躍している方もたくさんいらっしゃいましたね。
岩国という風土が育んだ、多くの才能があることを知ることができました。
ご紹介した方はほんの一部の方ですが、この記事をきっかけに、岩国に関心を持っていただけると幸いです。