吉田松陰や高杉晋作ら多くの志士を輩出し、日本の歴史を変える明治維新の原動力となった長州藩。
攘夷決行のために外国船を砲撃、長州ファイブと呼ばれる志士たちのイギリス密航など、のちの日本のために思い切った行動を起こしながら、改革の歩を進めてきました。
幕末、優秀な人材の育成や軍備強化に力を注ぐことができたのは、村田清風(むらたせいふう)が改革によって藩の基盤を作り直したからに他なりません。
■村田清風の功績、名言についてまとめています。
⇒村田清風・藩政改革で幕末長州藩の基礎を作った人物!名言などわかりやすく紹介
村田清風記念館
村田清風記念館は、清風の出身地である長門市三隅にあります。
国道191号線沿いに大きな看板があるので、場所はわかりやすいですよ。
場所 | 長門市三隅下2510-1 |
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電話番号 | 0837-43-2818 |
開館時間 | 9時~17時(入館は16時30分まで) |
休館日 | 毎週火曜日(火曜が祝日の場合は開館、翌平日休館) 臨時休館日あり(施設整備、年末年始ほか) |
入館料 | 一般・大学生200円(160円)、小中高生100円(80円) ※( )内は団体料金 ※長門市民、市内の学校の児童・生徒は無料 ※お得な4館共通入館券あり(香月泰男美術館、村田清風記念館、くじら資料館、金子みすゞ記念館) |
アクセス | 【車の場合】新山口駅からおよそ60分 【公共交通機関】JR長門三隅駅を下車。長門市駅方面行きバスに乗車し、沢江バス停で下車して徒歩5分 |
駐車場 | あり(無料) |
その他 | 館内の展示は撮影禁止 |
公式サイト | 村田清風記念館 |
館内に入ると、まずは村田清風の生涯と功績をまとめた映像を見ることができます。
村田清風がどんな人物なのかわからないまま来館しても、とてもわかりやすく映像で解説してくれるので安心ですよ。
また館内展示も、マンガのイラストや模型を使っているので、頭に入ってきやすくなっています。
記念館のとなりには、清風神社があります。
昭和3年に建立されたもので、昭和16年にこの地に移転しました。
三隅山荘(村田清風旧宅)
村田清風記念館と道路をはさんだ場所には、三隅山荘とよばれる村田清風の旧宅が残されています。
この家は、清風が生まれる1年前の天明2年(1782)に、祖父が建てたとされています。
清風は生まれてから19歳まで、63歳から73歳までをこの家で過ごしました。大半は萩で過ごしましたが、この家を三隅山荘と呼び、ときおり帰省していたそうです。
忙しい政務の中、ほっと心を落ち着けられる場所だったのでしょうね。
茅葺屋根の減少にともなって職人さんの人数も減り、現在では、葺き替え技術は珍しいものになっているそうです。
この家は、清風の生家として歴史的価値があるだけでなく、武家住宅と農家の洋式を合わせ持つ在郷武士住宅の特徴を残す遺構として重要な建物。
昭和16年(1941)、国指定史跡に登録されています。
文政6年(1822)、鎌倉鶴丘八幡宮の後山に生えていた小さな松を萩市平安古の自宅に植えました。
のちにその松のそばに生えてきた松をここに移し、三隅山荘の清風松と呼びましたが、昭和48年、松くい虫の被害で枯れてしまいます。
この松は、枯れた松の孫松で、平成13年に移植されたものです。
村田清風の功績を後世に伝えるため、大正9年(1920)、地元の有志らが寄付を募って建てた碑です。
じっくり見て回ると、見どころが多い三隅山荘。
吉田松陰ら幕末の志士たちが、清風の教えを乞いにここへ足を運んでいたかと思うと、じーんと胸にくるものがありますね。
まとめ
村田清風記念館、三隅山荘(旧宅)をご紹介しました。
表だって有名ではありませんが、幕末の長州藩を裏側で支えた村田清風。
彼が生まれ育った三隅の地で、その功績を知ってもらえたらいいなと思います。
とてもわかりやすく解説してありますので、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。